秋津野を知る

地域づくりU(地域の経済活動にも)

 秋津野塾事務局〜上秋津公民館
〒646-0001 和歌山県田辺市上秋津2046 上秋津農村環境改善センター(農村センター)TEL 0739-35-0004

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マスタープラン実践の時

 平成14年に出来上がった秋津野『マスタープラン21』の実践への挑戦がスタートする。
 マスタープラン(基礎計画)が絵に描いた餅で終わっては地域づくりは進まない、秋津野塾やその構成団体・組織
がマスタープランを基に実践プランを計画し実践する時がやってきた。

マスタープラン4つのテーマ

 T.暮らしを豊かにし、住み心地が良い地域を創る
 U.訪れるひとびとの琴線を揺すぶる地域を創る
 V.『農村と都市の結婚』による新しい魅力的な地域を創る
 W.住民主体、『行政・大学参加』が原則の地域づくりを進める

 重点目標は環境保全型・循環型地域の創造などである。
 「秋津野マスタープラン21 」は、向こう10年間に取り組むべきと考える主要な目標を示している。つまり、21世紀初頭の地域づくりの目標である。それは、地域の未来像、将来の行方を左右する意味をもつ。
 重点目標が語る近未来の地域のすがた、地域づくりの目標をキーワードでまとめてみた。「循環型社会」に「環境」と「文化」で地域を再生する。それは「協働」と「連携・交流」のなかから創造される可能性がある。

重点の目標は7つである。

 1.環境保全型・循環型地域の創造
 2.安心・安全な食べ物の供給拠点づくりと農業の総合化の推進
 3.農村的要素と都市的要素の融合した地域の創造
 4.「草の根文化」の創造
 5.「遊びの場」の整備と福祉の充実
 6.訪問者に感動と親切なもてなし(ホスピタリティ)を提供できる地域づくり
 7.地域住民の「協働」の輪の拡大、ほかの地域との交流・連携の強化
 
 すべての目標への挑戦は必要であるが、すべてを秋津野塾で取り組むにも限界がある。マスタープラン実践にむけては、秋津野塾加入24団体がそれぞれが主体となって取組み実現する目標や、農家・商店、そして住民一人ひとりが取り組むことが大切な目標。新たな組織構築(時間を要す)を行ってから取り組む必要性があるもの。そして、これまでのように秋津野塾を中心として取り組まなければならないもの。いずれにしても秋津野の組織・団体・法人・地域住民が主体となって行政や大学との連携体制で臨むことで、10年先に完全にマスタープランが実現されていなくても、目標達成に向けた歩みが地域力として育まれ、10年後には、また新たな目標にむけての挑戦を始めることができるであろう。
 時代の変化はあまりにも早く、重点目標でさえ変更を余儀なくされる時が来るかもしれないが、時代の変化を素早く適格にらまえて、その方向性を修正しながら柔軟に目標に向かう必要性もある。こういった目標ができることで、秋津野は新たな挑戦への幕を開くことができる。 


これからの地域づくりと農業(〜平成15年)

 広域合併が地域の個性が失われる

 大きな市や組合に吸収合併された小さな町村や農協は、たちまちアイデンティティを失い、人口減少に拍車がかかり、やがて地域毎の個性を失い、寂れたたたずまいを見せるようになるというのが山間地に暮らす人々の大方の予想であることに誰もが否定しない。それでも効率化をすすめなければ行政や農協を守れないとばかりに平成大合併が進み出した。
 私たちの暮らす上秋津は今後どのような未来予想図が描けるだろうか?マスタープランの中に出てくる10年後の平成24年〜25年の上秋津の姿はどのようになっているだろうか?広域化した田辺市は?広域化した農協は組織と組合員との関係性はどのように変化しているだろうか?
 秋津野マスタープランのアンケート調査(平成12〜14年)結果を見ても、平成20年を過ぎる頃から、上秋津地域でも農業従事者の高齢化と後継者不足が一段と進み出すのでは考えられます。健康食品ブームにのった南高梅の販売も頭打ちから価格低迷期に入ってきている。昭和40年代にみかん農業が経験したってきた暴落という洗礼も受けなければならない時も来るかもしれない。
 マスタープランの中には、今後、実践していかなければならない事項が多く指し示されているが、とりわけこの地域の経済を担っている農業の活性化は待ったなしではないだろうか?

農業が、地域が、世界経済と密接に関係

 今世紀に入り、世界経済がそのまま地域経済と結びつくようになってきた。
 世界の何処かの出来事が大きな波となり、地域経済に影響を及ぼす時代になってきている。その影響は、そのまま地域農業にも及ぶようになった。その例が上秋津の特産の一つでもある梅干しである。特に中国梅の輸入拡大で安価な梅干しがスーパーや量販店に並びはじめおり、いずれ国内の青梅や梅干しの価格形成に大きく影響することは必至である。
 昭和40年代に起こった上秋津特産のみかん価格の大暴落が地方経済に与えた影響は非常に大きく、そこから地域や農家が学んだ複合経営を、今一度考えなくてはならない時期に来ている。

青ウメウメバブルが地域を迷わす

 政府のオレンジ、オレンジ果汁等の自由化で、農産物輸入の影響をいち早く受けたのも、全国のみかん産地であった。当地方でも例外ではなかった。危機が訪れるたび、農業者や上秋津農協(その後の紀南農協上秋津支所)の生産販売委員会を中心に、上秋津にあった品種への切り替えを目指し、栽培のための研究や試験を繰り返し、多種多品目栽培へと切り替えがすすんだ。その結果、農家経営を立て直して地域を支えて来た。
 昭和の終わりから地域農業の救世主であった『ウメ』も、今日に至っては、安い中国産の加工ウメに量販店の売り場を占拠されるほどになってきている。
 "一つの品目(品種)で30年栄えた産地は世界中を探しても無い"と和歌山大学の農業経済学部の教授は大きな声で警告を発し続けている。
 いずれ、近い将来、ウメの取引価格も下がることは必至である。上秋津の農業も、これ以上、ミカンや柑橘栽培からウメ栽培への切り替えは非常に危険と考えられる。
 今日の価格帯でのウメ製品の販売が、この先も消費者が受け止めてくれるかは、はなはだ疑問でもある。日本経済バブルと共に健康食品ブームにのったウメ干し商品であるが、今日、過剰塩分摂取が問題視される時代への変化と共に、ウメ干し製品の減塩化もすすみだしている。しかし、消費の伸びは限界を迎えつつあるのではと考える。そろそろウメ消費とウメ生産のバランスが崩れかけているのでは?と感じている農家や梅の加工販売業者も多い。
 近年のみなべ地区、田辺地区のウメ畑の拡張ぶりはどうだろうか、 消費の伸び悩みと反比例するかのように生産拡大が続く。このまま推移すれば、近い将来、日本の温州ミカンがたどった道になり、農家や地域を苦しめることにつながらなければよいのだが、見通しを誤れば、600億とも700億円ともいわれている梅産業全体が大きな影響をうけかねない。
 今、秋津野の農家は大きな判断期を迎えている、販売単価が高いウメ栽梅干し培中心に舵を切るのか?これまでの上秋津の特産のミカン・柑橘を主体に梅との複合経営状態を続けていくのか?、これまで幾たびかの農業危機を乗り越えてきた経験や知識を先輩農業者から後輩農業者に、秋津野の農業の方向性を示す時であろう。
 この先、農業にいかに自信とやる気を与えられるかは農業関係機関・組織の指導力はもとより、農家の意識改革が問われる時代へと入ってきている。また、秋津野塾でも地域経済が弱れば、今日のような地域づくりも困難になるのでは? 地域づくりを通して農業の活性化の方法を探る必要があるのではという議論も盛んになった。

秋津野でも田辺市でも経済循環が滞る

 農業のおかれている現実を直視したうえで、対策をスピーディーにおこなわなければ、5年後、地域経済に大きな影響をもたらすのは必至である。
 この地域で外貨を稼ぎ出すのは農業であり、農業収入が減ると、たちまち地域にお金が回らなくなる。そうなると地域経済循環が絶たれてしまう。ますます、地域が冷え込む悪循環の繰り返しが始まる。
 平成6年の秋津野塾が誕生した時、上秋津の農協に出荷される農産物だけで24億円に達していた。しかし、今日では大きく落ち込んでいる。卸売り市場経由だけの販売では、この先、どこまで落ち込むのか不安を抱える農家は多い。
 これまでのような、市場流通への偏りやプロダクトアウト的な栽培形態をつづけていれば、上秋津の農業生産額大きく落ち込んでいくのも予想される。このまま、激化する産地間競争を続けていれば、どこの産地も体力を消耗してしまう。早急に、卸売り市場経由の販売依存を減らす必要性が迫っているのでは?。とりわけ地産地消や産地直送地域資源を活かした交流・体験型販売など新しい流通への挑戦も待ったなしである。また、農産物に付加価値をつけ加工販売出来る、商品の開発なども急ぐ必要がある。 
 今後、秋津野の地域づくりにおいて農業の活性化をどのように行っていくかが問われいる。

マスタープラン実践〜まず、直売所が『きてら』挑戦

確実に風をとらまえて

 平成11年に、地域づくりの延長線上で住民出資で立ち上げた直売所『きてら』だが、一年目の倒産の危機は役員・出資者の努力で乗り越えることが出来た。
 毎日のように報道される、食品表示偽装、残留農薬問題、賞味期切れ食品の再販、輸入農産物への不信など、毎日のように食の安心・安全に対する裏切り事案が後を絶たない。その結果、消費者の農産物直売所への期待が高まり、『きてら』も年々約1000万円ずつ売り上げを伸ばしていった。
4年が経過した時点で出荷者の増加、少しずつであったが品揃えも良くなり、年間の売り上げが4000万円を超え、10坪のプレハブの店舗では手狭となり、駐車場も無く、トイレといえば簡易トイレのお粗末さ。せっかく遠くからお買い物に来ていただくのに、これでは消費者の方の期待に応えられない。
 いつしか役員の間でも店舗の移転・新築の話が出始めていまた。この頃になると雨後の筍のように直売所が全国津々浦々に誕生、行政も農産物直売所に関して、農業や農村の活性化のためには、直売所が必要不可欠との理解が進み、直売所の支援策のため建築への補助金なども利用できるようになった。
 地域づくりにおいては、風を吹かすことも大事であるが、風をとらまえることはもっと大事である。まさに直売所『きてら』は地産地消の風をとらまえたのだ。


 

きてら店内マスタープラン21の重点項目を取り入れた直売所を

 マスタープラン21に指示された7つの重点項目のキーワードを組み入れた新たな計画のスタートである。
 直売所の移転を決意したのち、再び『きてら』への出荷者を中心にして、きてら新築に向けた出資を地域内に呼びかけた。新たに52名の方が快く出資を引き受けてくれた。やはり、この4年間地域づくり型の運営に徹し、地域に住む誰もが出荷できる体制で運営してきたからだ。まさにマスタープラン21の目標の地域住民の「協働」の輪の拡大であった。
 今回、『きてら』が移転する目的の一つに農産物加工場の建設も目指していた。和歌山県からは2つの補助政策の提案があり、今回は補助金も利用し、直売所と加工所のトイレなどの付帯設備も建築する計画で進めてきたが、新たな地域内の出資だけでは建築資金が足りず、地域外へも直売所『きてら』への支援を呼び掛けたところ、直売所への応援団として21名が資金を持ち寄ってくれた。おかげで、新『きてら』の店舗は、販売スペースはそれまでの2倍に広がり、販売する商品が目立って増えた。旬の野菜や果物が、たくさん持ち込まれるようになった。

女性たちも地域に積極的にかかわるように

 マスタープラン21の重点目標にもあった、安心・安全な食べ物の供給拠点づくりと農業の総合化の推進の目標に近づこうと、秋津野直売所の敷地内に加工場と倉庫が建設されました。加工施設は木造で費用は約1500万円、和歌山県の山村定住促進事業などの制度を活用して実現に至った。
 地域の女性たちがグループを組み、きてらの隣に誕生した農産物加工所(きてら工房)で様々な農産物加工もスタート。これまで地域の女性活動や農協の女性活動が、活動だけにとどまらず経済活動へ意識変革させていくためにテストキッチンであるきてら工房の誕生で、女性たちの経済活動に変わった。
 保険所の許可のとれた『きてら工房』で加工品をつくり、そのまま店舗でテスト販売が出来る。こうした仕組みをつくることで、農産物加工の楽しさや、販売の難しさ、嬉しさが学べ、次につながる商品開発へと続く。
 直売所を介して消費者との交流は、生産者に自分たちが見のがしていた価値について気づかせてくれる。「こんなものが、売り物になる」。再認識が、店頭に並ぶ商品の種類を多彩で、豊かにしていく。いま直売所で年間に扱う商品は、果物、野菜、花、漬物などの加工品を中心にざっと200種類にのぼります。商品の全てが、地元で作られているものだ。地産地消だ。

直売所の原点を忘れない

 直売所移転後、年々売り上げを伸ばし、平成18年に売り上げが1億円を突破したのを機に法人化し、農業法人株式会社『きてら』として再スタートをきった。どんなに苦しい時が来ても『きてら』は直売所の原点を忘れないようにと、仕入れ商品や転送商品は置かない、販売しない。スーパーマーケット型の直売所のよに直売所経営のためには、なんでも販売するといった品揃えは無い。そのため、農家や生産者が、お店に持ってこられる範囲の品物で経営を行っている。そのため、バナナやリンゴは置いていない。すこし消費者の方には不便なお店かもしれないが、農産物直売所のカテゴリのなかでは 一番小さなカテゴリに入る『きてら』の戦略がここに隠れています。私たちは、本物を目指すことで直売所の生き残りをかけています。
 
セオリより意義
 『きてら』の立地は必ずしも良くない。それどころか悪い立地条件である。本来、直売所の経営を優先するのなら、市街地に近い主要県道や国道沿いに立地し駐車場も広くとれるところに立てるのがセオリーである。しかし『きてら』80歳のおばあちゃん、おじいちゃんでも、バイクにのって出荷できる町内への立地。ほとんどが『きてら』から半径3km圏内に住まわれている。ですので、まともに市街地に近い、何でもそろうメガ直売所と競争しても軍配がどちらに上がるかはだれの目でみてもわかる。しかし、平成14年、平成19年に民間や農協系の直売所が市街地に近い立地で開設されたのにもかかわらず、『きてら』は売り上げを伸ばし続けている。その理由はわからないが、『きてら』の役員さんや出荷者の努力と、元気な地域イメージの直売所というファン層の存在は疑う余地はない。農業組合や行政の広域化で失われかけた上秋津ブランドが確実に復権してきているのだろう。マスタープラン21にもあった循環型地域の創造の拠点の一つが地域にある直売所ではないだろうか。


 マスタープラン実践〜俺ん家ジュース倶楽部を結成

ミカン農家の最大のモッタイナイをどうにかしたい

 平成15年の『きてら』の新築移転にともない、出荷者もお客様も増え、その結果、直売所の売り上げも順調に拡大した。『きてら』移転時に、本場アメリカ製のジュース搾り機を導入、農家が輪番制で、毎日、みかんやオレンジの生しぼり、『きてら』店内のジュースサーバーで販売を行った。ジュース飲んだ方が、口々に美味しい!新鮮だ!こんなジュースは初めだ!と評判を得た。
 農家も、果実の形が悪いからとか、表面に葉すれキズ跡や、病害虫に表皮が侵された跡があるだけで中味は同じなのに、商品価値が無いと嘆き続けていた。とてももったいないな〜とも思いつづけてきた。加工用ミカンは、農協経由で大規模なジュース工場に納入していましたが、集荷費、輸送費とジュース工場での費用がかさみ、農家には全く恩恵が全くなかった。なんとかしたい!そこで、農家や地域30人の有志が立ち上がった。ミカンそのままの味で勝負しょう!無添加、無調整のみかん果汁ジュースの計画が持ち上がのだ。

ミカンジュース加工に向けて

 自分たちのみかんジュースを試そうと、県内で持ち込んだミカンのジュースを加工してくれる工場を探したが、少量で加工してくれる施設はなかった。
 和歌山県の農業普及所から、三重県の熊野灘に面したところに試作なら引き受けてくれるところがあるとの情報。早速、早朝にミカンをトラック満載にし紀伊山地を横断しジュース工場へ。帰りは瓶詰されたジュース、搾りかすをこれまた満載状態で『きてら』へ。
 熱処理したミカンジュースは味に不安はあったが、その不安も消えた。店で瓶入りジュースを販売したところ完売。販売店舗のある強み実感した。再びミカン満載で紀伊山地横断。何回か繰り返しているうちに、自分たちて工場を持てば、こんな苦労はいらないとの声が出始めた。しかし、誰も瓶入りジュース製造したことがなかった。
 県の農業行政機関には瓶入りジュースの加工指導を行ってくれる部署は無く困り果てていたが、全く畑違いの県の工業技術センターに、指導者が見つかり、『きてら工房』にある設備で瓶入りジュースを造れるということで出張指導で一通り加工工程や衛生指導を受けた。なんども作っては試飲したが、現在ある設備では美味しいジュースが作り出せなかった。もちろん大量にジュース加工するには今ある設備では限界を感じ取った。
 『きてら』役員でなんどかの話し合いの後、自分たちのジュース工場建設の流れになったが、『きてら』が金融機関から借り入れしてジュース工場を建設した場合、ジュース事業がうまくいかなければ、直売所もつまずいてしまう。せっかく直売し事業が順調に推移しているのに、大きなリスクは負わせない。市内の加工機器製造販売をしているところからジュース加工に関する見積書を取り寄せたら、建屋建築と合わせると1500万円以上資金と運転資金が必要なことがわかる。

農家に出資の呼びかけ...

 新たな資金集めは、農家に出資を募ることになった。しかし、今までの農協へ出荷した加工ミカンはキロ当たり3円〜5円のイメージが強く、50万円の出資に手を挙げてくれる農家は少なかった。最低でも30名の出資が無ければ動けない。そこで、これまで共に地域づくりで汗を流してきた同志や建屋を建築工務店、器械を導入していただく業者にも出資のお願いをしたところ10名の農家以外の出資者が集まった。農家と合わせるとかろうじて30名を突破。なんと本格的な計画が始まって2か月後、ジュース工場は完成、農家の当番制でジュース加工を開始。

思いだけではジュースはできなかった

 いったい何回失敗しただろう。頭を下げ大手のジュース工場で製造方法教わる。そしてなんども挑戦。本格的な商品が完成したのが製造開始から1年がたった12月だった。ジュース加工技術のノウハウを習得する365日だった!。 
 本当に消費者は認めてくれるのか?倶楽部員の間だから不安の声が漏れてきた。そんな不安を払拭させたのが、『きてら』冬のふるさと詰め合わせセットに入れ、贈られたお客様からの一本の電話だった「あのジュースは、本当に美味しい」「本当に無添加でつくられたのですか?」みんなが言った「本物を味を伝えることが出来た」。
 日本一小さなジュース工場に次々と新しい機械が導入され、本格的生産に入った。秋津野のふるさとをジュースと共に伝えたいと言うバイヤーも現れた。
 そして、多品種栽培を推奨して来たふるさとの先人達に感謝した。この里には多くの柑橘・オレンジがある。このみかんのふる里を今まで守り続けることが出来たのも、多種多品種栽培のおかげだ!温州みかん、ポンカン、三宝、デコポン、清見オレンジ、バレンシアジュース....まだまだ続く新商品の開発は続いている。
 ジュース工場計画に携わった農家や関係者は大きな自信とこれからの農業のあるべき姿を見つけたような気がした。農商工連携の筋書どおりの事業化であったような気がするが、一番難しいと感じたのが製品販売と、これまでの農業経験では対応できない、加工に対しての工程管理や衛生管理であった。

産業廃棄物で新たな経済

 ミカンをジュースを絞ると、どうしても出てくる大量の搾りかす。当初は農家が輪番で自分の畑で処分をしていましたが、これでは環境にも悪いとある地域づくりに応援を頂いていました会社に相談した結果、食物残渣とこの搾りかすを混ぜて土壌改良材となった。これを『きてら』で販売することで地域経済循環も始まった。
 マスタープラン21にあった環境保全型・循環型地域の創造安心・安全な食べ物の供給拠点づくりと農業の総合化の推進の目標に向け、新たに組織化した俺ん家ジュース倶楽部が目標達成に向けて挑戦は続いている。


 平成15年〜18年
 
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