明治22年 未曾有の大水害で甚大な被害。高尾山の崖崩れ数千箇所。田畑は全滅。
昭和31年 上秋津村・上芳養村・中芳養村・秋津川村・三栖・長野村が合併し牟婁町となる。
昭和32年 社団法人上秋津愛郷会(あいごうかい)の発足
昭和36年 農業基本法が制定され、選択的拡大によりみかん生産拡大
昭和39年 牟婁町が田辺市に転入
昭和40年〜上秋津地区内の農道整備の促進
昭和43年 みかんの価格低迷〜新たな柑橘品種導入開始
昭和48年 建築促進委員会の発足
昭和49年 晩柑同志会の結成
昭和50年〜みかん、米の生産調整により、梅への転換を図る
昭和51年
田辺市みどりの少年団結成
昭和53年〜みかん完熟栽培への取組開始
昭和54年〜極早生温州の「宮本早生」の本格的導入開始
昭和55年〜スプリンクーラーの導入開始
昭和59年 ふるさと上秋津「古老は語る」発行
昭和60年 愛知県豊田市の小清水小学校へ、みかんを送り始める
昭和60年 秋津野合唱団結成
昭和63年 経塚記念塔の倒壊により再建委員会設置、同年再建
平成 元年 地元雄志による「上秋津を考える会」発足
平成 元年 農業集落排水事業推進委員会の結成
平成 2年 果樹産地活性化特別対策事業により防霜ファン設置
平成 2年〜上秋津川西地区農業集落排水事業着手 平成2年〜7年
平成 4年〜上秋津川東地区農業集落排水事業着手 平成4年〜8年
平成 5年 上秋津農村改善センター完成
平成 5年
高尾山登山マラソンが始まる
平成 5年 高尾山パラグライダー発進基地完成
平成 5年 辺谷農村公園施工委員会結成
平成 5年 緊急畑地帯総合整備事業によりスプリンクーラー等設置促進
平成 6年 秋津野塾発足
平成 7年 上秋津選果場にカラーグレイダー選果機等の導入
平成 7年 人文字ハゲの復活
平成 7年 愛知県足助町へのむらづくり
先進地視察
平成 8年
ゆたかなむらづくり全国表彰事業で「天皇杯」を受賞!
平成 9年 秋津野塾ホームページ開設
平成10年 高尾山に「ログハウス鷹の巣」完成
平成10年
秋津野花まつり始まる
平成11年 秋津野直売所『
きてら』オープン
平成12年 秋津野マスタプラン策定事業開始(和歌山大学との共同作業)14年最終報告
平成12年 緊急中山間直接支払事業開始に伴い地域の整備開始5ケ年
平成13年 WBSラジオウォーク 「オレンジランド田辺秋津野の里をたずねて」考える会(第1回)
平成13年 奇絶峡整備委員会発足(植樹事業、整備事業開始)
平成14年 里山復活事業開始(高尾山中腹クリ公園跡地、田辺市みどりの少年団・愛郷会)
平成14年 WBSラジオカフェin田辺秋津野・高尾山登山マラソン大会第10回記念大会開催
平成15年 現上秋津小学校木造校舎利用検討委員会発足
(平成16年に、校舎利用準備委員会発足)
平成15年
秋津野直売所『きてら』新築移転
平成15年 農産物加工施設『きてら工房』も直売所に併設、女性グループが農産物加工の開発・販売を開始。
平成16年 インターネット光ファイバー利用開始(
eo.net) 地区内95%の利用エリアカバー
。
平成16年 秋津野の柑橘をつかったジュースの製造と販売を行う
俺ん家ジュース倶楽部が誕生
平成17年
新・若者広場誕生
平成17年 本格的に秋津野グリーンツーリズム計画をスタート
平成18年 『きてら』が法人化 (株)農業生産法人
きてらとなる
平成18年
上秋津小学校新築移転
平成18年 秋津野の里で撮影された、映画「幸福のスイッチ」映画完成
(映画ストロベリーフィールドも完成)
平成19年 株式会社秋津野誕生(地域住民の出資)
秋津野ガルテンの運営管理を行う
平成19年 青梅価格の暴落。梅価格の低迷が4〜5年前から続いていたが、19年度産は豊作となる。
平成20年
秋津野ガルテンオープンし、年間6万人以上の利用者で賑わう
平成20年 地域づくり人材の創出育成を目的に秋津野地域づくり学校が開校(平成20年〜)
平成21年
秋津野農家民泊の会が発足し14軒が農家民泊の許可を取得。
平成22年 地元の柑橘を使用した、
お菓子体験工房『バレンシア畑』が秋津野ガルテン内に誕生
平成23年 農業法人株式会社『きてら』と俺ん家ジュース倶楽部が経営統合
平成23年 新・俺ん家ジュース工房(工場)が稼働
平成26年 地域づくり中間支援組織「一般社団法人ふるさと未来への挑戦」が誕生