地域づくりの特色(平成10年頃まで)
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学校と地域の一体活動
上秋律地区には地区を校区とする幼稚園、小学校、中学校があり、地域に溶け込んだ教育方針を貫き、上秋律のすばらしい自然環境と農業の良さを幼少の頃より体験することにより、ふる里を愛し、人を愛する豊かな心を培うことを目標に・父兄と教師が密接に連携をとり一体的な活動を展開している。幼稚園児の農業体験、小学生のみどりの少年団などによる自然保護活動、中学生の農業体験など自然、農業等の重要性を幼少の頃から認識させながら地区の健全な将来の担い手づくりを行っている。
ふるさと上秋律の伝承活動
近年、古いものより新しいものがもてはやされている世の中、、自分達のふるさとに伝わる伝説、民謡、歴史等を子供達に伝えようと、小学校の育友会のメンバーが約2年かけて編纂し「ふるさと上秋律・古老は語る」と題した冊子を発刊した。この冊子は上秋律地区全戸に配布されるとともに、現在も小学校において教育の一環として使用されている。
高尾山を活用したむらづくり
上秋律は高尾山の麓に広がる里、、高尾山は地区住民にとってシンボルとなっている。奇絶峡などを含むこの高尾山一帯は、昭和47年2月に県立第2種自然公園の指定を受けており、その多くが愛郷会の所有財産、ある。上秋律を考える会、は地区のシンボル、ある高尾山を活用したむらづくりの数々のアイデアを提案し、また、そのアイデアを地区が一体となって実施しており、登山マラソン大会の開催、パラグライダー場整備、農村公園づくりなどを行い、地区のPRに努めているとともに、地区内外の住民交流を促進し、地域の活性化を図っている。
女性達の活動
昭和55年頃より、上秋津地区の人口も増加し、生活様式の近代化・多様化によって、地区の中央部を流れる会津川も家庭からの雑排水の流入によって、水質が著しく悪化した。このような状況に対し、特に地区の女性達は敏感に反応した。昭和60年に入り、生活改善グループの活動の中、河川浄化を図るため、家庭ゴミ及び雑排水の浄化に努めるためのコンポストの共同購入や排水ネットの使用運動を開始し、地区全体へ普及させた。この取組は後に集落排水施設整備へと発展した。また、本年11月開設予定の農産物直売所の運営は、女性が主体に担当することとしている。直売所の開設に向けて、4月から22名の有志が農産物加工活動を開始しており、これま、イベント等、販売してきたみかんやスモモのジャム、ジュース・梅の加工品などを直売所、定期的に販売するため、日夜、商品化の研究に努めている。地区の女性達は学習意欲も旺盛、、婦人会、は婦人学級や若妻学級を頻繁に開催している。近年、地区内の女性達の発言力も高まっており、平成8年度の農協の総代会に70名中17名の女性総代が参加し、農協の経済面や運営企画面、も積極的に発言するなど女性達の活発な活動が展開されている。
農業集落排水施設の整備
女性達の環境保全の敬細が契機となり、地区内の環境保全意識が高まり集落排水施設整備に取組むこととなった、平成元年1月に町内会が中心となって農業集落排水事業推進委員会を結成し、市に対し要請活動を行うとともに、事業実施に向け具体的な活動に入った。地区内の各区に対し推進委員会が具体的な説明会を行い、さらに・地区内全戸に対しアンケート調査等も実施したところ、90%強の住民が賛成という結果が出たことにより、事業の実施計画は急速に進展し、平成2年12月に着工という、スピード着工が可能となった。現在、は約600戸が供用しており、地理的に困難な世帯(ただし合併浄化槽を整備)及び転居を予定している世帯を除けば全戸が供用し、平成8年11月には整備完了しました。約800戸という大集団、かつ地区内の全戸が供用する集落排水施設整備は、和歌山県でも先例のないものであり、県内外から注目された。新旧住民が力を合わさなければ実現できない事業でもあった。
公民館を中心とした活発なコミユニテイー活動
公民館、は活発なサークル活動を展開している。近年、上秋律地区は池地域から転居してきた新住民が増加してきたこともあり、住民交流を促進するとともに、公民館を拠点とした文化活動を行うため、全戸を対象としたアンケート調査を行い、その結果を踏まえ、習字・絵画、写真、ソフトバレーボールなどのサークル活動を開催している。これらの活動には住民の新旧、老若男女を問わず参加し、新たな趣味に興じるとともに、住民交流を楽しんでいる。また、PTAのサークル活動から発展した合唱団は、秋律野合唱団として紀南合唱祭へ参加するまでになり、イベントや地区内外の演奏会、慰問にも幅広く参加している。サークル活動のほかにも・公民館は、毎年、盆に帰省した若者も交え野球大会や盆おどりを開催している。これらの企画は、ふるさとを離れた若者にふるさとを思う気持ちを回帰させるとともに、やがて地域の担い手として帰郷することを頼って実施しているもの、あり、平成8年度から盆おどりについては・これを発展させ「夏祭り」とし、公民館を中心として地区一体となった夏のイベントとして実施した。これらの活動のほかにも、公民館、は、バレーボール、ソフトボール、野球大会、囲碁・将棋大会など年間を通じて様々な活動を展開し、文化・スポーツの振興とともに住民交流を促進している。
老人福祉・交流活動
上秋律地区では、中学生による老人宅訪問活動・老人とのゲートボール大会などを実施し、上秋律地区を築き上げた人生の先輩達を敬う心を子供時代から養成する取組を行っている。また、上秋律地区は3世代同居という世帯構成が一般的であり、JA女性の会では、体の不自由な高齢者を適切に介護するための介護教室を定期的に開催している。平成5年度には老人達への感謝の気持ちを形で表そうと、老人交流施設「長寿館」を農村環境センターの同一敷地内に建設した。長寿館は・老人達の憩いと交流の場として活用されている。
地区内の環境美化活動
高尾山、奇絶峡など自然環境に恵まれた上秋律地区では、地区内の環境美化活動を各組織が分担しながら実施し、美しい景観保持に努めている。上秋律を考える会はスカイバーク、老人会は奇絶峡、愛郷会は高尾山登山道、牟婁商工会青年部では経塚が最初に発見された史跡を定期的に清掃している。また、秋の農業集落排水施設の竣工式に向けて、子供から老人までの幅広い層の参加による、集落排水処理施設周辺の「花いっぱい運動」を計画している。
新住民との融和
近年、上秋律地区は混住化が進行しているが、地区内では住民の新旧を問わず分け隔てなく一体的にむらづくり活動を展開している。新たに転居してきた住民は、公民館が実施しているサークル活動、各種イベントにも積極的に参加し・また集落排水供用促進に当たっても積極的に協力している。また、上秋律を考える会の構成員は現在38名中10名は新たに転居してきたメンバーであり、すでに地区の担い手として主体的な活動を展開するようになってきた。
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行政と農協の広域合併計画と地域アイデンティティー
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2001年、新たな世紀に入る頃から、田辺市や紀南農業協同組合も、平成の大合併という政府や中央組織の大号令によって、それが現実味を帯びてきている。
合併を推進する立場の人々は、合併ありきで、その効果を高らかに謳っている。このままだと2〜3年後には、農協も田辺市も広域大合併へと大きく舵取りをしそうである。行政は加速している人口減少や若者流失の影響で、行政サービスの低下を懸念し、農協は、農家の高齢化や後継者不足が、特に、JA紀南に隣接する農業協同組合では深刻化しており、金融、保険の自由化で国際的な影響が、この先、経営に大きな影響が及んでくる。その影響を最小限に止めるために合併ありきで、その場を乗り越えようとしている。まさに、組織を守るためには、組合員の利益は後回しにされそうである。
行政にしろ、農協にしろ、今回の合併計画のエリアはとてつもなく広域で、これまでの旧村単位の上秋津地域も、その広さなかに埋没してしまう危険性がともなう。
そこに暮らす住民や農家は、今まで以上に地域を守る努力をしない限り、地域力が削がれ、地域が弱体化する恐れがある。特に、農協は、今回の合併話に止まらず、10年後、あるいは20年後には、県下で一農協の構想を有しているだろう。
今日のように、光の速度ですすむ時代には、的確で素早い判断が要求されます。合併で組織が肥大化すればするほど、地域の未来を決定するための時間は長くなり、判断力、決断力の低下を招く恐れさえ出てくる。そして、その判断を誤れば地域に与える影響は大きくなります。秋津野でも、これまで以上に住民が力を合わせて地域のアイデンティティーを守る努力をしないと、広域という目に見えない物に飲み込まれ、上秋津地区の汗をかく地域づくりも停滞する恐れもある。
みかんの里のイメージが強い<山上(やまじょう上秋津)ブランドさえ、広域農協のイメージにとってかわられるのではと危惧する。
デフレ経済から抜け出せない日本経済、今後、地域はますます疲弊の度合いは増すだろう。10年〜20年先を考えた取り組みを、各地域(旧村単位くらい)で行っていかないと、大きな地域間格差を生む可能性もある。
少しでも地域に力が残る時
あの時に何かをはじめていれば...と、後悔することのないように、そこに暮らす住民や組織が力を持ち寄る時がきている。
広域合併をしたからといっても、お金が沸いてくるわけでもない、みかんや梅が、今までより高く売れ、農家の経済は良くなる事も考えられにくい。
行政は合併特例債を手に入れ、これまで時間のかかっていた、地方での箱もの建設の加速させ、合併を理由に行政スリム化の達成。小中学校の統廃合で教育現場の効率化。農協は金融や保険の自由化の影響を少しでも後回しにするために、組合員には不自由を掛けるが支所の統廃合の実施で事業の効率化という、大きな目的の一つである。
合併が現実になれば、旧村単位の地域(地区)や農協支所単位での活動でさえ、組織全体の判断を仰ぐ必要性が出てくる、中央集権型の組織運営となります。
広域化後は地域に暮らす住民が、自分たちの住む地区は自分たちで守り、次の世代にバトンを渡すための努力をしていかなければ、地域のアイデンティティは失われ、気づいたときには地域衰退への道を歩んでいると考えられる。
今後の地域の姿は誰が
平成6年に秋津野塾を立ち上げ、住民が力を合わし、汗を流し、コミュニティーづくりや地域づくりに歩んで来たが、地域と関係なく大きな変化が押し寄せようとしています。上秋津の住民も、農家も、今後の、社会・経済情勢、そして、農業・農村の変化に対応出来るのか、大きな不安を感じている。
これまで、地域づくりで、中心的な活動を続けていた先駆者達も大きな不安を抱えだしている。
今後の地域づくり方向性、そして上秋津地域の、今後の姿を、今から、準備していかなければ、10年後、20年後の豊かな上秋津の姿は見えなくなっているのではないか?
新しい風が吹くようになっいた
平成10年に、地域の青年4名がスタッフとして加わり、資金集めから運営に至るまで全て係わった、農業情報利用全国大会in和歌山で、上秋津と和歌山大学との出合いがあり、その後の地域に影響を与えるようになってきた。和歌山大学は上秋津を生きた地域づくり教材として学習の場として、そして上秋津地域は、新しい風を吹かしてくれる相手として、たがいにその存在を認め合うようになった。 |
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『きてら』は秋津野ソーシャルビジネスの原型
コミュニティーづくりから、ソーシャルビジネスに一歩を踏み出す瞬間!
秋の秋津野は、実りの秋である。特産の温州ミカン、富有柿、イチジクなどの果物、キノコの種類も多く、松茸も並んでいる。おじいちゃ、おばあちゃんが育てたみずみずしい野菜もある。はじけた紫色の皮の間から白く甘い蜜を滴らせるのは、アケビである。
上秋津の中心部を抜けて龍神村方面へ約1.5キロメートル走ると、河原地区を流れる右会津川のほとりに、木の匂いがする建物が建っています。
上秋津の秋津野産品直売所「きてら」である。「きて」は「来て」、語尾の「ら」は「〜してね(よ)」をあらわすこの地方の方言。つまり、多くの人に来てほしい、「千客万来」への願いが、店の名になった。
地域づくり延長線上で、地域の住民31名の出資でスタート
地域づくりの延長線上で、地域住民が出資し、「きてら」は、1999年(平成11年)5月に現店舗よりも500メートルほど離れた下手の、千鉢地区の県道沿いに開設された。
その年の春、紀南地方を会場に和歌山県が開いた南紀熊野体験博を機に、地元住民の間から特産品の直売所の開設を望む声があがったのがきっかけでありました。上秋津は、これまでも述べてきたように一年を通して温州ミカンを中心とした柑橘が収穫できる。ウメがある、スモモや柿もある。農家がふだん食べている野菜がある、花もある。地域活性化のひとつの方法が、直売所の開設でありました。
「自分が作ったものに自分で値を付けて消費者に直接買って喜んでもらう。いいものを作らないと売れない時代、新鮮で安全な商品を安く買ってもらいたかった。
地域づくりは、経済面がともなわないと長続きしないというのも現実だ。資金は有志31名が出資をし、310万円が集まりました。農家だけではない、商業関係者、サラリーマン、いろいろな職業のひとたちが金を出し、出資者に名前を連ねた。出品する商品の値段は出荷者が決める。地域住民であれば、手数料の15%を納めれば、だれでも出品できるシステムをとった。販売には、女性たちがパートタイムで勤務することにした。
消費者が直売所で商品を買う習慣が無かった
店はプレハブで、広さは10坪もない、客が数人入っただけで店内はいっぱいになった。
照明は、昼でも薄暗い。お世辞にも立派とは言えない建物。すべてが手探りで、すべてが手作りであった。しかも本来なら直売所のユーザーが多く暮らす市街地に近い主要幹線道路沿いの駐車場が広くとれる立地に建設するのが直売所経営を考えた上からも大事なことである。しかし『きてら』はあくまで地域づくりであるため、市街地から5キロ山沿いの上秋津地域に建設した。お世辞にも好立地とは言えない。
直売所を構え、生産した果樹やウメなどにみずから値をつけ、自分たちの手で販売・運営していくのは、上秋津では初めての経験である。この地域でも、ほかの多くの地域がそうであるように農産物の販売は、農協をとおしておこなわれてきた。
上秋津マスタープラン策定委員会が、平成12年におこなった「農作物の販売額および販売方法」に関する調査でも、温州ミカンの販売は60.3%が「すべてあるいはほとんどが農協共販」である。中晩柑類は45.4%、青ウメは67.3%、七割近くが「農協共販」をとおしておこなわれている。「個人による出荷・販売は少数派」で、「卸売市場を媒介せず直接消費者などへ販売直販もわずか」なのが、現状でした。「きてら」の開設は、それまでの「やり方」とは違うもうひとつの方法を意味していました。
平成11年の5月に開店した農産物直売所きてら。しかし、夏に向かうプレハブの店内は、日を追って持ち込まれる商品の種類や量が目に見えて減っていきました。当然、売り上げは伸びない。少ない売り上げは、パートの女性に支払うアルバイト代、土地の借地料、光熱費などに消えていきました。8月、9月と2か月連続の赤字になった。「売れるのかなぁ?」と半信半疑の者が多かった。
倒産していれば...
このとき倒産していれば、その後の地域づくりはなかったかも?自分たちで始めたこと、自分たちで解決しなければ笑いものになる、倒産するという思いで。上秋津地区にある産物の詰め合わせセットを200箱つくりました。これを役員さんが親戚、知人、縁故をたよって、時には自爆営業になった役員さんも...しかしそれが完売! ふるさと直送便『きてら』セットと名を打った売った商品の販売で、倒産の危機を乗り越えた。
「きてらセット」は、1セット3000円ほど。この詰め合わせセット商品が、人気を呼ぶ。年度末、決算がまとまった。初年度の売り上げは、1200万円近くに達していた。関係者の間にあった不安が払拭された。何もしなければゼロ、行動すれば成果がある、かすかな自信が芽生えた。きてらセットが売れて客が増加した。人が増えれば商品も売れる、みんなの意識が変わっていくった。
地域初の直売所は、農村によくも悪くも“さざ波”となって広がった
これまでの卸売り市場経由の大量流通システムでは味わえない喜びがあり、その結果”考える農業者”が多く誕生した。
倒産の危機を救った、ふるさと詰めあわせセット(きてらセット)は、毎年、春と夏と冬の3回売り出す商品で、きてらの“経営の柱の一つ”的な存在だ。注文をはがきやファックス、インターネットなどで受け付け、地元特産のミカンを中心に季節の果樹や加工品などを詰め合わせにして、申し込んだ消費者のもとに宅配便で届ける。マスコミが紹介したり口コミで広がり、売り上げは“倍々ゲーム”のように増え続ける。「自信」はやがて、「確信」に変わる。
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リーダーたちの不安(平成12年〜14年)
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地域独自のマスタープランづくりへ(平成12年〜平成14年)
これまでのガムシャラな地域づくりでよいのか?あまりにも拙速な地域づくりでなかったか?これまでの地域づくりを検証する時ではないか?様々な意見が交錯する中、秋津野塾では和歌山大学に上秋津の10年先をみすえたマスタープランをつくりたいと協力依頼。秋津野塾との共同でマスタープラン策定に向けて行動を開始。
大きな抵抗
当初、マスタープラン策定のために地域の大きな予算を使うことへの反発は非常に大きく、「大学に頼まなくても、そんな予算をかけなくても」という声が大きくなってきた。しかし、地域のマスタープラン策定となると徹底的な調査を行う際には個人的な経済のデータや意思なども調査・データ収集されることもあり、地元の仲間内でデータを分析するとなると、家庭の事情まで特定の人に覗かれてしまうことにもつながる。そうなると調査される側は正しいデーターを提供してくれない恐れどころか協力を拒む住民も現れてくると危惧された。それに収集されるデータ量は非常に多く、地元だけでデータ処理を行う能力も時間も人員もない。逆に言えば地元独自で調査しマスタープラン策定となると基礎となるデーターそのものの信ぴょう性や情報量が少なくなり、プラン自体の実効性も低いものにつながる可能性は高い。
これまでの農村社会という中では外からの風を吹かすことへの反発は非常に大きかった。
小さな声も
やもすると地域づくりにおいて意思決定がなされるときに、声の大きい人、流暢に意見を述べる人たちに意思が流されがちになることもあるかもしれない、このマスタープラン策定事業では声の小さい方の意識や意見、小学生からご老人までの意見の集約も求められている。
これまでの活動の検証
これまでの秋津野塾の活動が地域に暮らす住民たちに認められているのか?役立っているのか?そこで、地域での徹底したアンケート調査や住民300人に対するヒヤリングを行い、平成14年にはアンケート調査やヒヤリングなどから得られた情報をもとにマスタープランは完成した。翌、平成15年には地域住民にマスタープランをわかりやすく、そして地域の過去・現在の様子などもわかりやすく説明をした「秋津野未来への挑戦」の本が出来上り、地域全世帯に配布をおこなった。
不安は残るが、地域としてのすすむ方向性は見えたのではないかと確信している。あとはマスタープランで示された方向性において、一番早く取り組まなければならない地域課題解決のためのプランを選択し実践をしなければマスタープランも絵に描いた餅でしかない。
秋津野塾だけでは全てのプランに対応することはできない、秋津野塾に参加しているすべての組織においてプラン実践のための取り組みが必要となってくる。また、新組織を立ち上げて取り組む必要性もプランにおいては出てくる。
農業の深刻化
これまで地域経済を支え続けてきた農業であったが、農業関係者への緻密なアンケート調査から、このままの農業を進めていくと、農産物の価格低迷や農業従事者の高齢化、後継者者不足、鳥獣害被害の深刻化、廃園問題など5年後〜10年後には大きな問題となり現れてくるだろう。秋津野塾にも農業支えている組織・団体が加入しており、それぞれが、マスタープランをもとに新しい取り組みを実践していかなければ、農業は追い込まれ衰退局面に陥ることで地域づくりに大きな影響が出ることは必至である。
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平成15年
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