素人芝居上秋津にも、一時(大正年代の終わり頃、昭和初期)に青年連中の地芝居が行われた。秋の夜長になると、田辺方面から芝居の師匠(先生)を招待して、浪花節芝居を練習した。そして十二月九日の村祭りの夜、翌夜と岩内磧にて、丸太で仮芝居小屋を数百人収容出来るものを作り、屋根は天幕で周囲は板や幕でかこいをして、床は莚敷きであった。 役者になる方々は、立派な衣裳や道具をそれぞれの処で借用して来て身を扮し、出演をしたのです。玄人も及ばぬ立派な俳優であり、それぞれの芸をやり、見物人の人気を呼んだ。それへ万才踊り浪曲も演出し、時には田辺の芝居座へ出演もした。地元での開催は殆ど花(金包)で入場料はとらなかった。 当時はテレビもラジオもなく、毎年の此の芝居は、住民の慰安であり娯楽であった。当日は他村へ嫁入った子供は家族連れで来て、祭りの御馳走の残りを弁当に、一杯機嫌で観劇したのであった。十二月九日と言えば、もう木枯風の吹く気候で、仮小屋にて暖房もなく、川原のことで寒くもあったが、大入満員であった。 又前日、東西屋さんと言って太鼓をたたいて各字を廻り、「東西東西」前置きして、芝居宣伝文を仲々上手にユーモアたっぷりと口上を述べ、人々に知らせたことであった。 |
1984年発行の、『ふるさと上秋津 ー古老は語る−』を、2009年秋津野マルチメディア班がWeb版に復刻いたしました。
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