素人角力(相撲)上秋津の学校児童や青年は、伝統的に走りが速く、郡内で各競技大会では優秀な成績を挙げ、県下全国大会へも選手を選手を送り出したこともあり、上秋津の大きな誇りであった。その頃(大正末期)村内の有志や青年の中に角力の稽古の話が纏り、毎年の如く地元の先輩の角力経験者(力士)や、栗栖川方面の有名な力士を招待して稽古をした。此の力士のことを稽古台と称した。 正月前頃(当時は旧正)には寒稽古を、岩内の字で広い作業場を借用して土俵を作り、村内青年の有志が毎夜練習(稽古)を行った。そして二十日前後稽古をして、稽古上りと言って、岩内の磧で大寄角力大会を附近町内の素人力士を招待して挙行したのです。村内の先輩や同好者が世話人観進元となって準備運営に当られ、経費は一般有志の寄附や、花(金包)でまかなった。正五人抜。五人抜、三人抜、一番勝負をやり、商品には米一俵、金包、酒雑貨等と授賞した。行士も呼出し人もあり、今の大角力のミニ型であった。当時正月行事の一つであり、多くの村民老若男女を問わず一つの楽しみであった。その関係で、各村の村祭りや地蔵祭りや色々な会の余興には、素人角力大会が多く開催された。 又力士には角力名(しこ名)を付けていた。 秋つの、眞龍、南川、若勇、小錦、笹波、村外には和歌桜、大虎、大幟、加茂川、峯の花等の名前が今思い出される。 |
1984年発行の、『ふるさと上秋津 ー古老は語る−』を、2009年秋津野マルチメディア班がWeb版に復刻いたしました。
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