麦作り

 稲刈りが終わると麦蒔きの準備が始まる。
 田の稲株を、株切鍬で、一株一株と残り株の大体中央で切る。(これは麦蒔きのときと砕土しやすい為)そして牛や馬で割鋤を行い、そしてその谷になった処(はだ)へ、厩肥や、初夏山野で刈った草や活葉樹の新梢を堆積して置いた「しだき」を入れて、それを掘り起こした土で埋め崩す(切り込み)それで牛や馬で本鋤きをして畝立てをし、そして水やり(鍬で畝の両端や周囲の畝<マクラ>を仕事や排水の良いように整理する。)それを更にかまと言う道具(砕土器)を牛に引かして、細かく土を砕く。それへ二篠の種蒔きの溝を作る。(それを小切りと谷はだ切りと言う)それへ播種し下肥や草木灰をやって土を覆う。種蒔きは、女の人が手捌きよく行う後種蒔機が登場した。
 それから、発芽後は、種蒔きの溝の中処を耕し、熊手で麦の元の土を掻き除き、草を取り、それへ下肥や速効性の金肥を施し、籾殻で覆う。そして更に麦の本葉が出る頃より、中入(麦の中へ厩肥や金肥下肥を施す)し、覆土し、又はた上げをしたのだが、食料不足時に麦の増産を行わした時代より、広蒔(蒔巾を広くする)を奨励され麦踏や土入の新しい方法が導入された。そして五月頃出穂し、六月初旬に麦刈り畝の上へならべて乾かし、センバで穂と幹とを取り、穂は穂摺機をで摺きつぶし、麦に仕上げて四斗(六〇キロ)に入れて麦俵を作ったのである。
 病虫害の防除は、黒穂病予防であるが、それは各家庭の風呂が終わったあと、少々熱くし、それへ袋に入れて朝迄浸し、翌朝早く水洗いを十分して蒔く迄蔭乾しをする風呂浸法を行った。
 麦には、当地では裸麦と小麦の二種で、裸麦は人々の食糧又は牛馬の飼料とし、小麦は粉とか自家用の醤油の材料に使ったのである。小麦は出穂頃より誘病が多く発生したので、硫黄合剤の撒布をした。




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1984年発行の、『ふるさと上秋津 ー古老は語る−』を、2009年秋津野マルチメディア班がWeb版に復刻いたしました。

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