養蚕*成長した蚕を、わらなどで作った、まゆを作らせる床にうつすこと。明治の終わり頃から大正、昭和にかけて当地でも養蚕が盛んとなって、村内至る所に桑園があり、住宅より大きい蚕室を建築する家もあったが、多くの農家は本宅を当て、上蔟期には、表の間、奥の間、庭に棚を作り、寝る所もない有様であった。 蚕は毎年春、夏、秋の三回に蚕種を掃立て飼育したが、春蚕が一番生産量が多かった。 上秋津には岩内の田中、平野の玉井、奥畑の中山各氏が蚕種製造をしており、小学校の近くには大きな建物の乾繭場があり、岩内には製糸工場があった。蚕種製造業者は蚕種を貯蔵するため奇絶峡の山中に共同で風穴を整備したが、その現場は今も残っている。 この養蚕も戦時中は食料増産等のため桑園が減り、当地方での養蚕はいつしか姿を消し、桑園変じて水田や果樹園となってしまった。(百年史による) |
1984年発行の、『ふるさと上秋津 ー古老は語る−』を、2009年秋津野マルチメディア班がWeb版に復刻いたしました。
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