天之真名井(あまのまない)

 ここは、俗に多和(へこんでいるところ)と呼ぶ今は、池も埋りて水浅けれど、昔は、変化自在の大蛇すみ、滅法界の(すばらしい)美人が池辺わ守る(見つめている)と見れば、たちまち変じて、「腐れ風呂輪」に化くる等、樵夫の懼れ已む時なかりしが、徳川時代の末(万延前後の頃)、千年の齢を終えて、物凄き地響きとともに、出山し、麓の岩井谷ノ池(嘉永四年の頃、田辺藩に於て築造)をつきくやし、稲谷川を圧し流れて、秋津の本流に渦巻きを立て、うねりうねりて海に入るを見たり、とは、天保老人にしばしば聞かされしどころなり。
 しかるに、昭和の御世や、たとえ大蛇が海に千年の修業を積んで、天上へ昇らんとするその途次に、立ち寄りたくも、経塚記念塔の霊力に払われて、故郷に帰る術もなく、登山客は、安心して喉のかわきをうるおす、天之真名井の霊泉とは、なりにけり。
(中山雲表 記)

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 「村山五種木の他に、桜も伐ってはなりません。帰り急がず夜景をごらん、ぐるり灯の海、別世界火の用心、たばこ吸うたら、もみ消しましょよ、友の吹いたるアクまでも。」



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1984年発行の、『ふるさと上秋津 ー古老は語る−』を、2009年秋津野マルチメディア班がWeb版に復刻いたしました。

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