中宮神社について

 中宮神社についてお話をいたしましょう。御祭神は伊弉冊尊と軻遇突智命のお二方ですが、伊弉冊尊さまは天照大神さまの御母君と申される方で、皆さま己によく御承知の事でしょうから、ここでは軻遇突智命の御説明をいたしましょう。この神様は火の神様で、火を起し、火を伏せ、落雷から護り、火災を守って下さる愛宕大明神の主祭神でございます。
 今から約千二百年ほど前、和気清麿が鷹の弔のため、千光寺を建立して、寺の氏神さんとして、山城の愛宕大明神をお迎えして、高雄山にまつったのが、中宮さんの始まりです。清麿公と愛宕大明神との関係に付いては、清麿がかつて勅命によって、慶俊上人と相談し、愛宕明神を、京都の或る地点から、現在地愛宕山の頂上に移し、社殿を築き、山を開いて立派な神社として祀った時から始まり、何時しか清麿の最大信仰の神となりました。愛宕社が千光寺の氏神さまとして、高雄山に迎えられてから、世は平安時代として、平和が続き寺は栄えて、神社は鄭重にまつられてきました。
 時代は下って鎌倉初期愛洲八郎経信が衣笠城を築いて、秋津、三栖の荘の地頭を勤め、その子俊秀が、元寇の役に出陣して功を立て、愛洲氏の全盛時代を迎えた時、何時の頃からか、大きな山崩れのため、森林は谷底に埋まり神社は假宮の姿のままであったのを、野久保にお移しして、中宮と称し、愛洲氏の氏神として、鄭重にまつる事になりました。(今から約七六〇年前其の当時の中の宮は、本殿は檜の香り高く、屋根は檜皮葺新しく、千木がそびえて、立派な社殿でありました。又神社の祭典には、流鏑馬式があって、騎士が正装して馬に乗り、走りながら弓をひいて的を打つ、神事がすめば競馬がありました。今野久保の山上に「馬場の壇」があり、又御渡式は南谷から渡り、今尚「幣の谷」の地名を残してあります。愛洲氏が衣笠を去ってからは、豪華な祭典は出来なかったが、余興として獅子舞や角力があって、永く続けられてきました。)
 江戸初期になって、野久保に山崩れがあって、社殿が押し出され、假殿となった頃が、氏子の一番の疲弊した時で、中々本殿の新築が出来ず、氏子は日々の生活に追われて、山路、龍神を初め、七川、十津川あたりまで、出稼ぎに行くものが多かったようです。
 明治初年になって、久保田から出田して成功した、那須利兵衛氏が私費を投じて再建し、神社合併のやかましい中で、「假令神社は無謀な官吏どもに、こわさるるとも、樫の根本にご幣をまつり、祖先の道を守ろう。」と氏子をはげまし、守ったお蔭で、中宮神社は元のままに、この地に残ることが出来ました。
 近来、氏子の繁栄に伴って、由緒あるこの神社を、昔の姿にかえそうとする気運も高まり、社地の復旧や社殿の面目が、年と共に一新されつゝあるは嬉しいことではありませんか。
 末社若宮神社
 若宮神社には稚産霊命と家都御子大神をおまつりしてあります。
 御本社が高雄に鎮坐されて後(平安時代中頃のことか)京都からは上皇さんや法王さん方に、大臣や伴人が大勢附き添って、大集団で熊野詣でをすることが盛んになって来た時分でしょうか、和泉左衛門尉平信兼が熊野本宮の神(家都御子大神)をお迎えしてまつることになりました。家都御子神とは素戔鳴命を申し上げる別名で、本宮の主祭神です。この時信兼が本宮からついて来た榊の杖を二つに折って、一本を高雄におまつりした若宮の前にさし、残りの一本を麓の泉の地にさして、「若し杖が芽を出して成長すれば、神が鎮坐された証こである。」と云われたが、二本共栄えたと申します。高雄の上にあった榊は若宮さんと共に移転され、現代は三代目であり、又麓の榊は二代目で奥畑の泉の地で栄えていると云うことです。この頃から秋津の荘十二町がお熊野さんの神領となり、畑の郷五町五反が年々お熊野さんの祭りに、鏡餅を造ってお供えする、御供料であったと云うことです。
 若宮さんは、江戸時代から藁葺の祠であったのですが、昭和九年に大改造されて、今の社殿となりました。昔は若宮神社の由緒書が一巻あり、宝剣が一振りあったと言うが、今は何もないと云うことです。
 末社護王神社
 ご祭神は和気清麿さんで、清麿さんご逝去の後その霊は護王社にまつられ、正二位に叙せられ、後宮幣社として鄭重にまつられました。時に清麿御年六十七才。
 中宮神社の氏子は、古くから時々京都の愛宕山と護王社に参拝し、お礼を受けて、このお社に納め、報告するのが常でありました。
 末社大神宮
 天照大神さまをお祀りしています。昔は伊勢詣りは団体で行うのが常でありまして、お神楽を奏し、大大麻を受けて帰り、納めたお社が多いのですが、このお社は元落合にあったのが、ここに移されました。
 末社稲荷神社
 昭和六十年頃奥畑に狐つきがはやりました際、伏見のお稲荷さんで、狐の災いを伏せてもらった時から、勧請されて末社に列したものです。




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