川上神社物語

 世の中は何時のまにか、戦国時代に入って、室町幕府はあっても、ないのと同じようで、日本国中には幾十人もの群雄が割拠し、その下で又幾百人もの家来がお互いに争って、領地の取り合いをして、あたかも蜂の巣をつついた様な有様になってしまいました。
 河内の国野村の郷に住んでいた、野村久太夫好久もきっとこの土地の取合いに、巻き込まれたのでしょう。土地は取られ、取り返すことは出来ず、途方に暮れた揚句、思い切って郷里を捨て、家族五人連れて巡礼に姿をかえ、旅に旅を重ねて、秋津の里にたどり着きました。ここは口熊野で、河内の国のように争いの明け暮れもなく、平和であったため、とうとうここに住み着いて、百姓をするようになりました。その当時は、岩内、薗原、千鉢、杉の原、河原、平野で、たった四十五軒位しかなかったと、伝えられています。
 さてここで百姓で暮らすにしても、氏神さまが無ければ、心細いので、遠く、佐賀県佐賀郡川上村に祀られてあった、河上神社から分霊をいただいて、川中口にお祀りしたのが川上神社の始まりだそうです。
 では川上神社にはどなたをお祀りしてあるのでしょう。今私たちがお詣りして見れば、本社には、瀬織津姫と速秋津日子と速秋津日女の神様のお名前が書いてあります。瀬織津姫とは清らかな川の流れをききながら、毎日織物をつづけておられる尊いお姿の姫さまが想像されましょうし、秋津日子、秋津日女は秋津を拓いて下さった、遠いご先祖です。
 昨年(昭和五十六年)川上神社の総代さん方が、川上さんの元宮さんを尋ねて、佐賀県の河上神社へお詣りして来ました。神主さんの申されるには、このお宮さんは今から千四百年も前に建てられ、ご祭神は與土日女さまです。この方は神功皇后さまの妹さんで、三韓征伐の際は、天地もろもろの神様を呼び集め、皇后さまのご無事を祈って、日出度く凱旋される日をお待ち申上げておりました。そのお蔭で、皇后様は男装をなさって三韓に渡られましたが、到る所で、敵は降伏して、「日の御子様に矢を向けてはならない」と、みつぎ物をささげて、お許しを乞うたため、皇后さまは一度も戦ったことが無く、お帰りになられました。又元寇の際には、不意に暴風雨を起して、敵船をくつがえし、味方をおたすけになった、この神様のご威光を崇んで、御陽成天皇は「大日本国鎮西肥前州第一之鎖守」と言う、勅額をお下げになりました。以後領主や殿さん方から鄭重にまつられて来ました。
 もともと国難をお救い下さった軍さの神様だったのですが、広く水の神様だったのですが、広く水の神様、農業の神様、なまずの神様として尊崇されて来ました。そのため傍を流れる、嘉瀬川では「なまず」は誰も捕まりませんし、氏子の方々は「なまず」を食べない風習が残っています。
 佐賀の河上神社に参拝して帰ってから、川上さんへお詣りして気付くことは、ご祭神が変ってあると言うことですが。皆様のお祖父さんや、まだその前のお先祖さんの時代から、川上さんは何回も大水害にあって流されてきました。川上さんは元衛門平の上手にあったのですが、何回も敷地をかえて、今の所に落着きました。その間に大切な書類は皆失って依り所はなく、明治の初めに神様のお名前を報告しなければならなくなった時、神主さんは伝え聞いたお名前をそのまま報告されたのでしょうか。しかし私達は今の織姫さまを信じて居りますし、私達の遠いご先祖のお社ですから、一日十五日はお詣りして、一家の無事と繁栄をお祈りしております。
 この神社は明治以降村社として、上秋津村の中心になるお宮さんでありますので、大村地区から、小さなお社をたくさん持ち寄りました。本社さんの右手にある神様が若宮さんで、この神様は秋津日子神のおこさんの水分命で、この地は大昔から、秋津一の湯のある所ですから、水が枯れぬよう、稲が豊かに実るようお守りくださる神様でしょう。
 その右手は熊野三社をおまつりしたお社で、お熊野まいりが盛んになった頃から、秋津の方々も、団体を組んでよくお詣りしたものですが、その度に受けて来た大大麻をお詣りしたのでないでしょうか。
 その次にあるのが八阪神社で、ご祭神は「須佐之男命」となってあります。祇園さん、ぎおんさんといって、里人に親しまれたお宮さんです。
 一番右の長い棟のお社に、岡代から迎えた大将軍社(大国主命・大国さん)と、岩内の山ん田から迎えた日吉社(事代主命)と鷹の巣城から下りて来た市杵島社(弁天さん)と明治九年にまつった龍神社(海の神様)とを合祀しております。
 又本社さんの裏手へまわりますと稲荷神社がございます。江戸時代の中程大村地区に狐つきが流行して、多くの人々が苦しみましたので、狐はお稲荷さんのおつかいと信じて伏見のお稲荷さんへお詣りして、狐を封じてもらいました。その後お稲荷さんを勧請して、おまつりするようになったのです。このお社の左側に小さな祠がありますが大神宮さんと申してお伊勢さんをお祀りしてあります。このお社は元平野と薗原にあったもので、昔の方々がお伊勢詣りに団参して、大大麻は各戸の神棚には入らないので別に社を造っておまつりしたお伊勢まいりの記念の社だと思います。
 皆さん私達は個人個人のご先祖が大切であるように、郷里の一員でありますから、皆んな共同のご先祖である氏神さんにお詣りしてご先祖のご威徳をしのび、気持ちを落着けて事に当る時、立派に希望がとげられるものでないでしょうか。




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1984年発行の、『ふるさと上秋津 ー古老は語る−』を、2009年秋津野マルチメディア班がWeb版に復刻いたしました。

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