恩恵と災い 感謝と憎しみと

●恩恵と災い 感謝と憎しみと

 上秋津は右会津川、佐向谷川、久保田川、稲谷川四つの川が流れている。主流は虎ヶ峯を水源とする右会津川である。虎ヶ峯は田辺市、南部川村、龍神村の三市町村にまたがる標高790メートルの山並みで、日高地方と田辺市の間に壁のように連なる。山のなかを流れ落ちた川は奇絶峡をとおって平野にくだり、やがてゆるやかな流れとなる。その川に三つの支流が合流し、田辺湾に注ぎ込む。
 上秋津のひとびとは、4つの川の流域に集落を開いて暮らしてきた。1889年(明治22年)8月19日、和歌山県をはじめ紀伊半島は集中豪雨に見舞われた。数日にわたり降り続いた大雨は、各地で大水害を引き起こし、未曾有の被害をもたらした。奈良県・十津川村では集落が壊滅し、住民の多くが北海道に集団移転し「新十津川村」を開いた。十津川の下流、熊野川の大斎原では、平安時代から熊野信仰の聖地としおおゆのはらて数え切れないひとたちが参詣し、藤原定家が「感涙禁じ難し」とその感動を記録にとどめた熊野本宮大社の社殿が流失した。上秋津でも、右会津川が決壊し、あふれ出た水は濁流となって集落を襲い、多くの家屋や田畑などを失った。「水田は土砂の2メートル下に埋まった」と伝えられ、急傾斜の谷間にある佐向谷地区は、鉄砲水となって下る奔流にのみ込まれ「むらの原形」
を失う。大水害は、この地域の農業に壊滅的な被害を与えたのである。
 川には「両義性」がある。災害をもたらす禍いの顔と、恵みをもたらす豊饒の顔である。川のりょうぎせいわざわほうじょう水はふるさとの土を肥沃にし、多くのいのちを育む。川にはアユ、ウナギ、ズガニ、手張りエビ、ひよくアユカケなどが生息し、初夏から秋には玉網を手にアユを追うこどもたちのすがたがあった。「ウナギは、雨の日に仕掛けるとよくとれた」という。ミミズやハヤなどを餌に針をウナギがひそむ穴に突っ込み、おびきだすのだ。五〇歳代以上のひとたちからは、いまでもそうした話を聞くことができる。
 河原地区では、三基の水車が回っていた。水車が生み出す水力を利用して、精米したのである。1948年(昭和23年)ころ、戦後間もないころまでみられた。水車は、コメ作りが盛んな時代があったことを教えてくれる。

千鉢地区には、いまも欄干がない潜水橋(沈下橋)がひとつ残っているが、1950年代半ばころまでは、こうした潜水橋や板橋がいくつかあった。園原地区の早春の堤は、柳の淡い緑に彩られた。
 こどもたちの遊びは、川のなかにあった。地域住民のアンケートは語る。上秋津で生まれ、昭和30年代ころまでにこども時代を過したひとたちの声だ。飛び込み、水をくぐり魚を追う、物貭的には決して豊かではなかったが、いまよりもはるかにドキドキする遊びがいくつもあり、牧歌的な時間が、流れていた。

 「会津川中流の広々した風景」「集落や田畑の中を流れる小さな水路」。圧倒的に多くのひとたちが好ましく思う「水辺の景観」は、上秋津のもうひとつの風景をかたちづくる。右会津川は、アユが遡上するほど、水のきれいな川であった。しかし、高度経済成長の時代を経て、都市近郊を流れる多くの川がそうであったように、この川の環境も汚染によって蝕まれていたのである。かつての美しい川を取り戻そう、地域をあげて一九九二年(平成四年)から農業集落排水事業への取り組みが展開された。その結果、少しずつではあるが、水質の改善が進んだ。しかし、むかしの川にはまだ及ばない、地域の努力は続いている。
 千鉢地区の川原は、「川幅が広く、砂利が多く、魚がたくさんいた」。「アイカケをとって食べたりした」、アイカケはすがたがハゼに似た魚である。
 1960年代ころから、開発が始まり、それにともないアユをはじめウナギやナマズ、ドジョウなどが次第に姿を消していく。それでも、「20年ほど前、昭和50年代の終りころまでは、小梅がとれる六月初めころ、会津川をそ上するアユが見られた」と原和男さんから聞いた。
 しかし生活用水や農薬の使用が水環境に影響を与え、コイの放流が川の生態系を変えた。河川改修は、水害に強い護岸を築くことに主眼をおいたものだった。「川は浅くて土岸だったのが、災害で氾らんしてしまい、三面張りになってから自然体系が変わり、イメージが変わった。川を流れるのは雨水だけだから、水がきれい」。下畑地区の住民の声は、見た目に「きれいな川」がかならずしも水質のよい、豊かな川と同じではないことを語っている。
 農業用の水路は、水田に水を供給するために設けられた。それが、いつのころから、家庭排水を流す排水路になった。上秋津では、これまでのところ野放図な開発はおこなわれていない。しかし、アユがすがたを消した川を上り下りするのは、「おっきなコイ」である。
 人の気持ちを和ませる上秋津の風景。「緑や自然が豊か」で「空気が清浄である」。たしかに、ここには都市近郊から失われた自然や農村の「風景」がまだある。しかし、のどかな風景の内側で、宅地開発が進行していることも確かなのだ。環境を暮らしのなかで、どのように守っていくのか。ほかの多くの地域がそうであるように、上秋津が直面する、大きな課題のひとつがそこにある。住民も、そのことに気づきだした。

川西集落排水最終処理場 川東集落排水最終処理場