●美しき水の里のいくつもの自慢
1.茶粥礼讃
和歌山県人は、粥を「おかいさん」と親しみをこめて呼ぶ。紀州和歌山で「おかいさん」と言えば、茶粥と決まっている。茶粥は、紀州を代表する食文化のひとつである。県内のすべての地域でと言ってよいのではないだろうか、ほとんどの地域に茶粥を食べる習慣があり、味は家の数と同じだけある。
茶粥は、地形と歴史が生んだといわれる。和歌山県は、森林が八割近くを占め、山は海岸線まで迫っている。平野は限られ、コメの収穫量も多くはない。紀州徳川家が統治した江戸時代には、その少ないコメも年貢米としてとられ、農民の暮らしは、苛斂誅求をきわめる。つまり、「貧しさ」かれんちゅうきゅうの所産が茶粥を生んだとする見方である。よしんば、その通りだとしても、けっして豊富ではないコメを上手に食べる、紀州のひとたちのしたたかな知恵と工夫が、茶粥という食文化を育んだということもできるのではないか。
茶粥は、炊きあげる状態によるが、「コメ1合に水1升」がだいたい標準だという。そして、興味深いことは、同じ和歌山県でも紀北と紀南で作り方が違うことである。違いは、コメを入れるタイミングにある。上秋津では、茶袋を入れた水が沸騰し、袋からしみ出た番茶の色に染まった頃合いを見て、コメを入れる。そして、15分ほど炊くと、「ぶつぶつと、泡が盛り上がってくる」。そのとき、素早く火を止める。「強火で炊く」のが、茶粥をおいしく炊くコツだそうである。これは、紀南地方でよくおこなわれる茶粥の作り方である。ちなみに、山を越した龍神村でも同じ方法で作られる。また、コメは自分の家で精米して洗わずに入れたり、火を止めるときに塩を入れたりと、味にこだわるのは高齢者である。
芥川龍之介の小説に『芋粥』という題の作品があるが、コメと一緒に穀物を炊いて食べることは、ずいぶんむかしからおこなわれてきた。和歌山県人も茶粥に、じつにいろいろなものを入れる。上秋津では、サツマイモや小麦粉を水で練った“しんこ”を入れるほか、正月の餅を寒の水に入れかんておき、この餅を焼いて入れて食べたりする。「餅が焦げた香ばしさが何とも言えない」という。
上秋津に住む二世代、三世代同居の家庭では、毎日茶粥を炊く家が何軒もある。若い世代の間には「白粥派」が増えているが、高齢者世代には「茶粥」でなければというひとたちは少なくない。いや、圧倒的に「多数派」である。1913年(大正2年)生まれの“おばあちゃん”の主食は茶粥だ。朝昼晩の三食が茶粥で、
白いご飯は合間に軽く食べる程度とか。径山寺味噌や漬物と食べ茶粥はふるさとの味る茶粥は、毎日の生活そのものになっているのだ。そうした家庭にあって、台所に立つ女性たちは、「朝晩二種類」の食事を用意することになる。
「身土不二」という諺がある。その土地のものはその土地で食べるのが、健康に一番良いという。古来中国の教えで、この国でも関心を集めている。茶粥は、そのよい例かも知れない。ふるさとを離れ、都市で生活する子や孫が、父母から送ってもらったコメや茶で同じ様に茶粥を炊くのだが、母や祖母の味には仕上がらないという声をしばしば聞く。味の違いが生じる大きな理由が、水にあるというのは定説になっている。ふるさとの水で炊く茶粥にまさるものなし、である |