「川中の柿」の右に出るものはない

A「川中の柿」の右に出るものはない

 杉の原地区の農業森山昌明さん(1971年生)の家は、上秋津の典型的な農家である。 4世代同居の9人家族で、森山さん夫婦と両 親、祖父母夫婦が約3ヘクタールの畑で温州 ミカンなどの柑橘類、ウメを栽培している。

 そして、森山さん宅でつくられているもうひ とつの果樹が、冨有柿の「川中の柿」である 和歌山県は、日本で1、2を争う柿の生産地である。しかし、産地といえば、かつらぎ町、九度山町、橋本市など県北部に集中している。その「日本一」の柿産地の関係者が品質の良さを認めた柿が、「柿農家はいない」上秋津地域の川中の柿だ。 川中の柿は、杉の原を中心としたほんの一部の地区で実をつける柿を指す。森山さん宅では、会津川沿いのミカン園の端などに約20本の柿の木が立っている。木のなかには、高さ7、8メートル、幹まわりが90センチから1メートル、曾(ひい)祖父の代に植えて樹齢が100年近い老木もある。 

3月下旬から4月、青い芽がぽっぽっと芽吹く。蕾のような芽は次第に開いていき、青葉を茂らせる。花が咲き、花びらが散って「雌しべがふくらむころ」消毒作業がおこなわれる。 一センチにも満たない小さな実は、直径6、7センチから大きいものだと10センチくらいに成長する。10月に入って気温が下がる日が続くと、「陽が当たるところから少しずつ淡い色が出てくる」。色が赤ければ赤いほど美味しいとされる柿は、11月中旬頃から収穫の季節に入る。

 川中の柿は、田辺市場で一口(10キログラム)5000円から6000円の値が付く。かつてよいときには、一キログラム1200円、10キログラム12000円の高値をつけたこともあるという。「川中の柿の右に出るものはない」、と森山さんは自慢する。「色ひとつとってみても真っ赤な紅をさす。真っ赤な紅をさしていて、実は固くて、食べれば甘い。実が丸く、きめ細かいんです」、すがたよく、色よく、味もよいというのである。 紀南地方の温暖な地で、そうした柿が出来る理由は地理的条件に恵まれているためだとみられている。ひとつは、谷間になっているために、気温は平野部に比べて一度ほど低く冷え込みがきびしいことがあげられる。陽が射すのが遅く、日照時間も短い。もうひとつは、奇絶峡から吹きぬけてくる「川中風」といわれる冷たい風である。風はほどよく吹いて柿の実に当たり、それだけではなく霜防止にも一役買っている。天の配剤としか思えない立地が、川中の柿を生み出す。

 上秋津でも柿を作っている農家は、むかしは多くみられた。しかし、昭和20年代に襲った台風で木が倒れたり炭素病の発生による被害が広がったのを機に、柿は見捨てられていった。そしていま、評判の川中の柿だが、栽培する農家は5戸、出荷量はあわせてもせいぜい10トンにも達しない。“まぼろしの柿” とされる理由である。
 「柿を作るならウメという風潮が強い。単価はよくても目方がとれない」からだ。作業効率が悪く手間がかかることも、柿栽培を消極的にさせている一因になっている。森山さんも、老木化し樹勢が落ちてきた木に代えて、あたらしい木を植える計画はない。「美味しいのはよくわかる。消費がある限りは頑張りたい、だが…」、気持ちは複雑だ。 

しかし、同じく川中の柿を20アール栽培する杉ノ原地区の農業笠松泰充さん(1940年生)は、“まぼろしの柿” を上秋津の特産にと意気込む。「川中の柿は、糖度が高く、25度以上になる。選ばれた地域でできる柿を、これから大切に作っていきたい」。