多和の岡の銅鐸

ゆけん谷には、千光寺さんと反対側に小さな岡があります。この岡は"多和の岡"と呼ばれています。
 今は、梅とみかん畑になっていますが、昔は村の土取り場がありました。
 安政二年(一八五五年)のこと、久保田の柏木和吉さんが、この土取り場で土取りをしていた時、ふり下した鍬の先にチーンと澄んだ音がしたので、よく見ると、土の中に緑青の吹いた一片が見えています。
 「何だろう。」と思って、そっと掘り起こしてみると青銅で造られたつり鐘状の物が出て来ました。小さな青銅だったのです。
 それを伝え聞いた和歌山の人が来て、何も知らない和吉さんにうまい事言って、二円五十銭で買い取っていきました。(この二円五十銭というのは時代に合わず、少しおかしいが、今は伝え聞いたとおりに書いておきます)それを又、アメリカ人が見て、「ぜひ、ゆずってくれ。」と言って買って行きました。
 今はこの銅鐸は海を渡って、アメリカのどこかに保管されているそうですが、値打ちのある銅鐸だったそうです。おしいことをしました。
 おそらく、この辺り多和ノ岡には、彌生時代から人々住んでいたのでしょう。




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1984年発行の、『ふるさと上秋津 ー古老は語る−』を、2009年秋津野マルチメディア班がWeb版に復刻いたしました。

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