龍神社のお祭り龍神社は弘法さんの開かれた霊所で、昔から有名であったのと、五百米の高い山の頂にあって景色がよく、見はらしがすばらしいので、昔から登山者が多くm旧暦の一月十五日と、八月十五日の祭典には、近郷、近在の参詣客が集まって、山上は一日中非常なにぎわいを繰りかえしております。龍神社の祭典は昔は古屋谷の栗山三郎勝重が一手に引受けて、行っておりました。栗山氏は湯川氏の家来で、日高郡の財部村と古屋谷との領主でした。世は戦国の時代でありましたので、湯川氏も上芳養の古野坂の裏手に砦を築き、龍善さんにも砦を持って、まさかの備えとしておりました。 栗山氏は自分の氏神がないので、龍神さんを氏神さんと思って、盛大にお祭りをしておりました。其の当時は餅もお酒も、神主もみな古屋谷から馬の背で運ばれたのでしょう。今尚神社の裏手に「馬つなぎ場」の跡が残ってあったり、「馬洗い場」があったりします。一月十五日はお正月最後ですので、地元は勿論、近郷の人々のお詣り客で賑わった事でしょう。又、八月十五日は夕月の夜ですから、ここから眺める月夜は実にすばらしかったかと思われます。しかし信心家にとっては、殿様が自分勝手に祭って、祭典に参列できなかったのが、不満で物足りなく感じたかも知れません。こんな祭が繰されている間に、世は戦国の終りとなって、豊臣氏の南海征伐のため、栗山氏が亡びて、其の遺族の者も散り散りとなり、勢力を失ってしまったため、祭典は上芳養、稲荷、上下秋津の村民で受けつぐ事になりましてが、栗山氏が一手に引受けて行っていたような盛大な祭は出来ませんでした。 それから四、五十年たって神主が秋津の方へ移り住むようになって、上芳養が祭典からはずれていき、秋津が始めて建物の古くなった神社を修復したようです。江戸時代の中程となって、紀州の殿様からつかわされた、名所や古跡を改める役人さんが田辺へ来た時、龍善さんは山の上で井作田と境界になってあるため、井作田の物だと云って、秋津と取り合いになったので、役人さんは「上秋津には佐向谷の馬尾に鳥居があり、左右に灯籠があって、参道がはっきり残されてあり、下秋津には大西に石の鳥居があってはっきり証こがある。しかし井作田には何もないじゃないか。」と言って、井作田の言い分が通らなかったと言います。 皆さん、この時の証ことなった鳥居や、灯籠は今尚元の地に残ってあります。由緒ある遺物として大切に見守ってください。 さて、龍善さんは上下秋津の共有のものとして明治に持ち越されて来ましたが、明治四十年頃「神社を合併せよ。」というお達しが段々きびしくなって来ましたので、上秋津では川上さんへ迎えようとするし、下秋津では雲の森さんにお迎えしようとして、上下秋津で再び取り合いガ始まりました。 上下秋津は江戸時代には庄屋が別であり、明治以降は村がちがっていたが、村有の共同財産は一緒になった昔のまゝでありましたので、明治の終りに財産を分ける事になりました。その結果龍善さんは上秋津領になりましたので、雲の森の神主さんが保管していた龍善さんの鍵を初めて、川上さんの神主さんにゆずったと云います。これから後龍善さんの祭典も、神社の維持修繕もみな上秋津ですることになりました。 明治初年頃までは日々の参詣客も多く、中には皮膚病にかかった患者が、桟俵をかぶってお詣りする人もあり、又冬の夜に裸でおまいりする客もあって、お供え物も、お持ちやお酒、お魚などが、祭でない日に供えられてあったり、なまずはげの願いを立て、願ほどきになまずの額を供えたり、色々の参詣者が山に上って行きました。又田植が終った後二、三戸ずつ順番にお詣りした事もあったようです。 さて、昔も今も変らず参拝者に親しまれている龍神さんには、どなたをお祀りしてあるのでしょう。龍神さん本社には上津綿津見神、中津綿津見神、底津綿津見神と申す三つの神様をおまつりしてあります。この神様は海の神様でして、昔から漁師さんの信仰を集めて参りました。その為漁師さんからお魚や、お餅がたくさんお供えされたのは当たり前のことでしょう。 本社さん横にある小さいお社には軻遇突智の神と申し上げる、火の神様がまつられています。この神様は火を起こす神様であり、火事を防ぐ神様であり、落雷を防ぐ神様なのです。龍善さんに落雷の少ないのは、この神様のお蔭でしょう。 また護摩の壇や地蔵さんは昔の修行場です。 最後に山の西北に八幡さんがありますが、今から四百年程前、秀吉の南海征伐の際、中芳養に鎮在する八幡宮が焼き払われました。その時お宮さんから白い鳩が二羽飛び立って、この山でつばさを止めたと言います。その当時の人は、八幡様のご神霊だと信じて、ほこらを建ててまつったのが、この八幡さんです。 八幡さんはもとは龍神さんの末社ではなかったのですが、世がたつにつれて、何時の間にか祭ってくれる人がなくなり、今では龍神宮の役員さん方が大切にお護りしています。 |
1984年発行の、『ふるさと上秋津 ー古老は語る−』を、2009年秋津野マルチメディア班がWeb版に復刻いたしました。
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