龍神宮の由来

 昔から龍神宮は、龍善さん、龍仙さん、重善さん等、種々に呼ばれ、皆さんに親しまれて来たお宮さんですが、このお宮さんが、この高い山の上に、どうして祀られたのでしょう。色々と語り伝えられて来ました。
 その一つは、昔南部の鹿島の大きな洞窟に住んでいた龍が、海の千年の生活が終ったのでしょうか、或る日この鹿島の沖から龍善山へ向かって、不思議な虹のような橋がかかった時、龍はこの橋を渡って、龍善山へ登られたので、この山上で大切にまつられたのです。そのため、南部の漁師さん方にとっては、一番親しい自分達を守って下さる海神様としてお祭の日には大ぜいの方が、お詣りしたと言われています。
 次に下芳養の方々には、昔松原に住んでいた漁師さんが、浜辺に立って沖の方を眺めていた時、沖の方に何か光るものが浮んで見えますので、舟をこいで近付いてみると、小さな仏像が浮んでありました。漁師はそれを大切に拾ってきて、自分の家でお祀りしていましたが、この様なよごれた家なんかにまつっては、罰が当るのではないかと思い直して、この龍善山へ、お移ししてお祀りしたものだと信じております。
 ところが「熊野権現縁起」と云う古い書によりますと、こう云うふうに書かれてあります。
 今から千三百年も前の遠い遠い昔の話です。
 常春の国南紀でも、冬はやはり厳しく、熊野灘は波が荒れ狂っていました。田辺湾にも高波がしぶきを上げて打ちよせています。ある日のことです。境も朝から海鳴りが激しく、海原をひゅうひゅうと風が渡っていきました。ところがお昼前のことです。風がぴたりと収まり、俄に明るい陽の光がさしはじめると、海もまるで油を流したように静まりました。それは春の陽気といってもよいくらいで、ちいさな小屋に閉じこもっていた人々も、首をかしげながら、ぞろぞろ外へ出て行きました。
 その時太陽の光が一段と強まり、七色の色彩となって、この浜一ぱいに降りかかってきたのです。海もその色を映して、その美しさには、まるで魂も奪われんばかりでした。
 突如沖の方に一条の白波が立ちはじめ、ものすごい早さでこちらへ進んできます。なにやらきらきら光るものが見えます。その光るものは、神島の辺りにさしかかると、ぴたりと動きをとめ、そこから真っすぐに上昇して、空高く舞い上がりました。
 その光に招かれるように、みるみる海面が盛り上がると、たとえようもないほど巨大な海龍が浮かび上がってきました。まるで頭は切り立った巌のようで、二本の角は白銀色に光り輝き、らんらんろ光る二つの眼からは、いなずまがほど走って、口からは紅い焔を吐いて、何やら上空からの光の合図を待っているようです。
 神島のすぐ傍にある神楽島に打ちよせる波の音が、お神楽の笛、太鼓のようにきこえ、旗島には海岸沿いに、白い幟が立ちならんで、はためいています。人々は口もきけず、只うっとりと、浜辺に立ちつくしていました。
 中天にかかっていた神の御光とも思われるものが、そろそろ北に向けて移動するにつれて、雲の間から天女の一群が舞いはじめました。まさしく神の御光です。その御光が今牟婁津の浜の上空にさしかかり、雲間に遊んでいた天女たちは、ゆっくり神子浜に舞い降りて、妙なる音楽を奏しはじめました。神の御光が、丘の上から差しまねく様にしますと、海上に首を高くもち上げた海龍が、口に灯明をくわえて、ゆっくり進んできます。そして神子浜の渚までくると、あの恐ろしい海龍の姿が消えて、そこに大己貴命の尊いお姿を拝することが出来ました。大己貴命はしばし仮の庵でお留りになりましたが、しばらくたった或る日、天にいます神に向かって「どうか私に安住の場をお与え下さいませ。」とお願い申しあげたところ、天の神様は軽くおうなずきになり、「お前の望む所へ行くがよい。」とお許しになりましたので、大己貴命は、天の羽車に召され、麓の雲の森から立ち上り、磯間の浦までお迎えに流れきた雲に、車ごとお乗りになって、龍神山にむかわれたと申します。
 この時海龍をお導き下さった、天の御光こそ熊野坐大神様で末長く熊野の地をお守り下さっております。
 昔語りとは云え、このように壮大な道具立てのそろったお話は外に見当たりません。おまけに海龍が大己貴命となって、鎮まったと云われる龍神山、天女たちが降り立って舞った神子浜、そして白い旗が立並んだと云う畠島(旗島)、荘厳なおかぐらの調べがきこえたと云う神島、お迎えの雲が湧き上がった雲の森など、関係のある名前が全部地名となって、残っているのも、まことに不思議なことではありませんか。
 けれどもこの神話は天武天皇十三年の記録に「熊野権現縁起」ならびに秘事として残されているところからみて、正に熊野の天地創造の神話とも見ることが出来るではありませんか。
 ご鎮座以来千三百年其の間多少の盛衰はありましても、ご神威は変りなく、伝え伝えて今日に至りました。しかし我々は今後永久に子孫に伝えていかなければならぬ責任があります。ご神威の益々ご発展を祈って止みません。




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1984年発行の、『ふるさと上秋津 ー古老は語る−』を、2009年秋津野マルチメディア班がWeb版に復刻いたしました。

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