秋津野 昔の年行事

上秋津の一年は、色鮮やかな四季の循環とともにあった。農作業で季節の移り変わりを知り、季節の訪れとともに労働が始まった。そして、めぐり来る季節を迎える様々な行事や儀式があった。

 年中行事のひとつひとつは、時間を感動的にし、一年を生き生きとしたものにしていた。現代人、都市住民には、容易に経験することができない鮮やかな時間である。年中行事が、いつまでもふるさとの忘れられない「思い出」となっている所以である。
 いまも続く行事があり、消えた慣習もある。あたらしく生まれた行事もある。『ふるさと上秋津古老は語る』(上秋津小学校育友会編集)をテキストに、上秋津の365日をたずねる。

 一月
 あたらしい年の始まり。新年を寿ぎ、神に家族の健康を願い、五穀豊穣を祈る行事がつづく。
 元旦  初詣元旦の朝早く、各地区ではそれぞれの地区の氏神様にお参りし、前の年にたいする感謝とその年の願い事をお祈りする。
 
 若水取り
  若水迎えとも言う。元旦の夜明け前に、家長が恵方の方向から新年を迎え初めての水を汲んできて、神棚の年神様におそなえし、一年の家内安全、五穀の豊作などを祈る。
神棚はしめ縄で飾り、御神酒、餅のほか、縁起の良いエビ・昆布・橙などをおそなえした。

 四ツ木 大晦日の夜福木を、かまどにくべておき、元旦の朝、その火で福木シバを焚き雑煮を煮ふくぎて祝う。四ツ木は、世継ぎとも言い、先祖代々の幸せを引き継ぐとともに、前年の火をあたらしい年に引き継ぎ、家族全員が幸せな一年を送ることができるようにという願いがある。

 五日は出初め式。消防団員が、その年初めての消防演習をおこなう。
 
 七日
は七草。春の七草を入れて七草粥を炊いて神様にそなえ、家族全員で食べて一年の健康を祈った。七草は、セリ(せり)、ナズナ(ペンペン草)、ゴギョウ(母子草)、ハコベラ(はこべ)、ホトケノザ(さんがい草)、スズナ(かぶ)、スズシロ(大根)
 また陰暦1月7日は山まつりの日である。山で仕事をする。人たちは1月7日と11月7日の2回山の神をまつる、その日は仕事を休み、酒を飲んだり食事をした。一月七日は山の神が種を蒔く日だといわれた。
愛郷会では、所有する山に祭壇を作り、榊を立て、御神酒や洗い米、ぼた餅、海と山の産物をそなえて参拝し、仕事の安全と山の繁栄を祈ってきた。

 11日は鏡開き。正月に飾った鏡餅で粥を炊いて食べる。

 15日は正月最後の行事やまつりがいくつもおこなわれてきた。
 お飾り焼き。正月にそなえた小餅をお飾りと一緒に川原で焼き、黒こげになった餅を家に持って帰り家族で分けて食べた。この餅を食べると、一年間病気にならないと言われた。
 また、この日は「成れ成れまつり」の日である、正月の餅や鏡餅を小さく切って小豆粥に入れて炊き、成れ成れの神様におそなえして、家族も朝食に食べた。朝食後は、小豆粥を持って畑に行き、ミカンや柿の下で「なれなれ柿の木、ならねば切るぞ、なりますなります、それではお粥で祝いましょう」と唱え、木の幹に鉈で少し傷をつけ、小豆粥をその切り傷にはさんでおそなえし、豊作を祈った。「成木責め」と言われる行事である。
そして、15日はお日待ちさんの日でもある。1月15日と7月1日は、お日待ちさんの掛け軸をかけ、庭先に祭壇をつくり、手をきれいに洗い、口をすすぎ、全員で太陽を拝む。そのあとは集まった人たちで酒を飲んだりして親睦をはかった。地区によっては、その日に農繁期に雇い入れる人の日当を決めた。
 
さらに、陰暦1月15日は龍(竜)神宮のまつりがおこなわれた。龍(竜)神宮は海の神で、地元だけではなく田辺の町や南部から大勢の人たちがお参りし、にぎわう。龍(竜)神宮のまつりは8月15日にもおこなわれる。

二月
 三日は節分、年越しとも言う。神棚にご飯と大根のなます、大豆の炒ったものと川原で拾ってきた小石をおそなえし、門口には、割り箸にイワシの尾頭付きと目突きしば(ヒイラギの木の葉)をさして立てる。そうすると、鬼が入ってくるのを防ぐといわれた。豆まきは夜で、神棚にそなえておいた豆と小石でおこなう。
 このとき、一部は初雷のとき用にとっておく。入り口の戸が木の板張りであったころは、「鬼は外」と言いながら小石を三回戸にぶつけた。そのあと、豆を両手ですくい、一升桝に移しながら「福は内」と三回くりかえしながら唱える。
 豆まきのあと、家族が自分の年よりひとつ多い数の豆を食べる。また、初雷の豆は、その年初めて雷が鳴ったときに食べると、一年間災難にあわないといわれた。
 陰暦二月の初めての亥の日は、春の亥のこまつり。

亥の神は「作る神」として、農家の信仰が厚い。その日は亥の神が作物を作りに出かける日とされ、小豆のあんこであんころだんごを一年の月の数と同じ一二個と、大きな重をつくって、それぞかさねられ一升桝に入れてお膳をこしらえ、つくり(刺身)と御神酒とともにそなえた。つくりには柚の実をしぼった柚酢をかけ、柚の皮は大根なますを入れるお椀にした。

三月
暑さ寒さも彼岸までと言う、彼岸には彼岸だんごをつくって仏壇にそなえ、 墓参りをして先祖の霊をまつる。
また、三月は社日と言い、土地の神様のお祭りの日があった。
その日は、土を動かしてはいけないとされ、農家は仕事が休みだった。そして、その日を利用して、地区民一戸にひとりが出て、地区内の清掃活動や道普請をおこなった。

四月
 三日は桃の節句、雛祭りの日。上秋津では、一カ月遅れの四月三日が桃の節句の日とされ、その日は、雛人形を飾り、菱餅、お菓子などをおそなえし、女の子の健やかな成長を願う。

 また、四月は信仰に関する行事が多い。八日は、奇絶峡では不動明王のお祭り、久保田地区では行者さんの祭りと庚申さんの祭りがそれぞれおこなわれる。そして、陰暦四月八日はお釈迦さまの誕生を祝う花祭りで、岩内地区の「お釈迦さん」では甘茶をわかし、釈迦像にそそいで祝う。
 十日は奥畑地区、下畑地区の金比羅さんのお祭りの日である。

五月
 五日は端午の節句。男の節句と言い、こいのぼりをあげ、武者人形を飾り、いびつ餅をつくってお菓子とともにそなえ、男の子の成長を祝う。また、菖蒲と茅、ヨモギを一緒に藁で結わえて屋根の上に上げる。
八十八夜、種まきはこの日を目安におこなう。

六月
 六月は農業に関する内容のものが目立つ。とくにコメ作りを伝える行事・風習が並らんでいた。
田植えの日には、田の畔にサセンボの木を立てた。虫よけのまじないとされてきた。
わき苗田植えをする前日、早苗を三把苗床から自宅に持ち帰り、赤飯とお神酒をそなえて、豊作を祈った。

田植え休みは、田植えが終わった時点で、ご馳走をつくり、一日ゆっくり休む日であった。
田祭りは、陰暦六月の丑の日におこなう田植えを終えたあとの行事。そうしの日は、小麦粉でだんごをつくり、四角に切っただんごを栗の木の小枝に包み、藁で結わえて田の畔にさし、豊作を祈った。
また、田祭りの日は青田ご祈とうの日で、各地区では豊作を願い般若心経を唱えた。
雨乞い。コメ作りにとって水はもっとも大切なもの。上秋津では、地区の代表が高野山の奥の院から火をもらって来て各地区に分け、その日をもとに火を焚いて、雨が降るように願った。
水稲にかかわる数多くの行事、それは上秋津にコメ作りが盛んな時代があったことを伝えている。

七月
一日はお日待ちさん、一月一五日と同じく太陽に手を合わせ、酒を飲み料理を食べ、親睦をはかる日であった。
七日は七夕祭り。

八月
上秋津のお盆の行事・風習を中心に記してみる。
七日は七日盆、お盆を前に墓掃除をする日とされた。
十二日はお棚づくり、初盆の家では親戚が集まり、棚をつくり、初仏をお迎えする準備をした。
十三日は松を束ねた松明をつくり、夕方の薄明るい時刻に火を灯し(迎え火)、庭先高く掲げた。
十四日にはやはり庭先に供灯の松明を迎え火と同じように高く掲げる。仏壇には、季節の作物やお菓子をおそなえする。
十五日は精霊を送る日で、近くの川原で先祖の霊を送る。ところで、十五日は「門めし」といい、むかしはこどもたちが集まって近所の家にコメを一握りずつもらいに回り、油揚げやにんじん、しいたけ、コンニャクなどを持ち寄って、家の門先で松明の燃え残りを集めて「しょうゆご飯」を炊いて柿の葉の上にのせて食べた。その「ご飯」を食べると、夏の間中病気にならないと信じられていた。
十六日は送り火、松明を庭先高く掲げ、先祖の霊を送る。また、十六日は奥畑地区にある閻魔大王をまつる十王堂で、一八日は下畑地区の観音さんで、それぞれまつりがある。
二十四日は地蔵盆(盂蘭盆)。上秋津では30カ所前後に地蔵さんがまつられており、各地区では23日の宵地蔵に提灯を飾ってご詠歌を唱えておまつりし、24日昼にはほとんどの地蔵さんで餅まきをおこない、夜は地区あげての盆踊りが行われる。
陰暦八月十五日は「十五夜さん」中秋の名月。萩の花、すすきを飾り、小さなだんごをつくってそなえ、月見をする。

九月
210日。立春から数えて210日目、稲の開花期であるこの時期は台風の季節でもあり、稲作農家は厄日として恐れた。

九日は栗節句。
十五日は敬老の日。秋の彼岸には、春の彼岸とおなじようにあんころだんごをつくって仏壇にそなえ、墓参りをして先祖の霊をまつる。






十月
秋の亥のこまつりは、陰暦十月の初めての亥の日におこなわれる。稲の収穫が終わり、亥の神様が作物を作り終えて帰って来る日に、亥のこまつりをして迎える。
その日は、収穫した新米で亥のこ餅をつき、菊の花となます、それに尾頭付きの魚を焼き魚にし御神酒とともにそなえ、収穫を感謝した。

十一月
二十三日は上秋津の秋祭りの日、この日各地区で一斉に行われる。
七日(陰暦)は秋の山まつりの日。山の神が春に植えた木を数える日とされ、その日は山仕事を休む。現在は新暦、陰暦、祝日など、地域によって異なっている。

十二月
十三日は福木正月。この日に、正月の四ツ木行事に使うウバメガシの木を山に取りに行く。一本のウバメガシの木を四本の薪にし、シバとともに家に持ち帰り、その木に御神酒と白御飯をそなえておまつりする。
杉ノ原では、十六日がお滝さん(滝谷大明神)のお祭りで、十八日にはご詠歌を唱え、それぞれ餅まきをおこなう。
二十三日は大神宮さん(だいじごさん)の祭りの日で、かつては各地にまつられ、祭りがおこなわれた。
二十八日から三十一日は餅つき。二十九日は「九(苦)がつく」といい、餅をつくのを嫌った。
三十一日大晦日は四ツ木行事がある。 夜遅く、福木正月の一二月一三日に取って来た四ツ木をかまどに
くべ、一年の無事を感謝し、来る年の幸福を願う。


これらは、上秋津で一年におこなわれてきた年中行事の数々である。
時代や社会の変化にともない、簡素化されたり、消えた行事がある。その一方で、いまも受け継がれ、ひとびとの暮らしとともに生きている行事も多い。
地域づくりを進めてきたなかでうまれた、現代のあたらしい祭りや行事もある。まつりや行事の数だけ、一年という時間はあざやかにめぐる。

上秋津の一年は、色鮮やかな四季の循環とともにあった。農作業で季節の移り変わりを知り、季節の訪れとともに労働が始まった。そして、めぐり来る季節を迎える様々な行事や儀式があった。

 年中行事のひとつひとつは、時間を感動的にし、一年を生き生きとしたものにしていた。現代人、都市住民には、容易に経験することができない鮮やかな時間である。年中行事が、いつまでもふるさとの忘れられない「思い出」となっている所以である。
 いまも続く行事があり、消えた慣習もある。あたらしく生まれた行事もある。『ふるさと上秋津古老は語る』(上秋津小学校育友会編集)をテキストに、上秋津の365日をたずねる。