杉野原地区

杉ノ原地区

集落
 住宅は48 戸から72 戸ぐらいに増加した。徐々にではなく、急に世帯数が増えた。もとは田や畑だった所に、団地的に増えていった。
 明治22 年の水害前は、川上神社の上の方に「うえもんだいら」というかなり広い場所があり十数軒の家があった。
 杉ノ原という地名の背景に、豊臣秀吉が、衣笠城、おかはた城、千光寺などの城や寺、神社などの多くを焼き払った。その時に奇絶峡の手前にも「たかのす城」があり、そこも攻められた。その城が高いところにあり、そこから傘を差して、飛び降りた城主と奥さんの「お杉さん」は無事だった。しかし、後に城主は打ち首にされ、お杉さんは皆でかくまった。女一人で寂しいので、阿弥陀さんを奉った。それが今の阿弥陀堂でお杉さ
んの墓もある。これが、杉ノ原になった由来である。

資源
 大切にしている場所は、「からと岩(開かずの扉)」、「大人(おおびと)の足跡」、「どうめき」、「こじきのねや」、「こうもり岩」、「大岩」である。
鷹の巣(たかのす)城跡には鷹がいっぱい住んでいた。発電所をつくるためのダイナマイトの音でいなくなってしまった。「小矢ン谷(こやんたに)」という上秋津で一番水の量が多い所に、長いパイプを通して自然に水を流して下のほうで水源として利用し、畑に水を流している。今も使っている。「お地蔵さん」は奇絶峡の大人の足跡の近くと、「どうめき」の近くと、地区の集会所の近くにある。
 杉ノ原地区では、川上神社と滝谷明神(12 月16 日餅投げ)の氏子で、どっちもお祭りしている。川上神社は今の位置に来たのが5 回目になる。水害で、何度も流された。

自然
 昔は、ちゃんばらごっこ、陣取り、かくれんぼ、なわとび、竹とんぼ、杉でっぽう、かみでっぽう、ターザンごっこ、川に飛び込む、川や用水路で泳いだり、あゆとり、うなぎとり(みみずをとって、それをえさにウナギを捕った。雨の前に仕掛けるとよく捕れる)、かに。えび、あゆかけという魚もとって遊んでいた。昔の人は、ミカン畑の石垣の石を一つ一つ上まで運んでつくった。遊びからそういうものがあったからだろう。昭和30 年頃から、まつたけやたきぎを取りにいかなくなった。