第二章 上秋津−その自然と景観

第二章
上秋津−その自然と景観

上秋津は、田辺市中心部から二キロメートルほどの位置にありながら、自然の風景がまだ色濃く残る。開発によって、自然が都市近郊から次々に失われていくなかで、ここでもかつての水田や畑が宅地などに変わった。それでも、川草が水面に影を映す川には、初夏ともなるとホタルが飛び、秋はミカンの黄金色に彩られる。そして、地域を囲むようにある里山が、ひとの暮らしを育み、上秋津という地域の景観をつくり上げているのである。
 上秋津地域は、一一の集落から成り立つ。佐向谷、岩内、園原、千鉢、杉ノ原、河原、平野、久保田、奥畑、下畑、そして藤谷の各集落が、右会津川、佐向谷川、久保田川の流域に形成されている。右会津川を軸に見ると、右岸に五つの集落、左岸に六つの集落がある。

佐向谷、岩内、園原、千鉢、杉ノ原は、かつてメインストリートであった旧道秋津街道(岩内街道あるいは龍神街道)沿いにある集落である。
 谷間にある佐向谷は、柑橘栽培が盛んな地区で、ミカンの協同出荷組合に取り組み専業農家が多い。右岸の岩内は現在の県道が開通するまでは、旧街道が通る交通の要所で、商業をはじめ地域経済の中心であった。
 園原はミカンやウメ畑の中に40戸あまりの民家が点在する、最後の水田が姿を消したのは2000年(平成12年)のことであった。千鉢地区は、民家が寄りそうように軒を連ねる。杉ノ原は豊臣秀吉の紀州攻めで滅んだ城主の妻「おすぎ」の名が、地名の由来になったという伝説が語られる里でもある。
 河原、平野、下畑、久保田、藤谷は人口の増加が目立つ。久保田は「米ぐら」といわれ、昔は約10町(10ヘクタール)の水田が広がり、山のうえに向かって棚田が伸びていた。しかし、こんにちでは水田のほとんどはウメ畑に変わり、一九八一年(昭和五六年)当時56戸ほどだった住宅は、約20年の間に約130戸と二倍近くにまでふくれあがっている。
 下畑地区はかつてはキンカンの産地として知られていた。上秋津の文教地区の中心地である平野地区も、宅地化が進む。また、河原地区はゴルフ場や住宅の新築によって景観を変えてきた地区で、開発は里山周辺にまで伸びている。新しく移り住んできた住民からは、「肥料や農薬の臭いがする」「洗濯物が汚れる」といった苦情も聞かれ、農家と非農家の間での問題に発展しつつある。
上秋津の各地区はいま、開発と都市化の波が押し寄せるなかで、農業を守りながら環境をどのように保全し持続的な発展をはかっていくのか、が問われている。


住まい周辺の環境総合評価