河原地区

河原地区

集落
 河原地区の集落を共同管理しているのは水利組合。山の管理は愛郷会。住宅は45戸から104 戸に増えた。ゴルフ場や新しい家が建って、景観が変わった。弁天山(里山)のあけびや、ももなどを食べにいったが、開発し宅地化してきた。周りに家が建って、肥料や農薬が臭う、洗濯物が汚れる等苦情があるので、農業がやりにくくなった。道が狭いため事故が起きない、起きても小さい。

資源
 昭和23年頃まで、米を精米するために三基の水車があった。
川上神社を共同で管理しおまつりをしている。地蔵さんの掃除や餅なげも皆でする。地区の人は庄屋の野村さんが九州から持ってきた川上神社、庄屋の屋敷跡が愛着があり、大切にしている。

自然
 川は水害の前は違う所を流れていたと言われていて、2m ぐらい掘るとわらじや茶碗が出てきた。また開発が始まり、貝や水性肉食動物(なまず、うなぎ、ドジョウ、フナ、手長えび、あゆかけ、めだか、あゆ)が居なくなった。生活排水や農薬(ホリゾール、パラチオン)により、川で人的に鯉を放流し始めてから川の生態が変化し、生物が居なくなった。(20 年くらい前から)
子どもの頃の遊びは、竹馬、駒回し、陣取り、めじろ取り、山遊び、川遊びなど川や山ばかりの自然で公園などはない。なんてんの実がいっぱいになっていたのに、いまのは歯抜けになっている。


昭和初期の川上神社