平野地区

平野地区

集落
 住宅は30 戸から60 戸ぐらいに増加した。水田であった所に道路ができて宅地化は進んでいる。昔は山添いの約30 件だったが今は約60 件ある。昔から、学校とお寺があり、上秋津の文教地区の拠点、中心であった。戦後すぐまでは、くさやぶきの住宅が、2 〜 3 軒あったが今はもうない。しかし、大変古い蔵が1 軒残っている。空き家はない。

資源 学校と千光寺を大切にしている。達高小学校(明治9 年11 月25 日創立)は、田辺の中では、古く小さな小学校であった。農村地区では大変早く、上秋津だけではなく他の地域からも生徒が来ていた。平野には、あか地蔵(あか地蔵の名前の由来は、あか水という井戸の近くに建てられていてその水で顔や体を清めてお参りしていたことによる)しかなく、明治時代に補修を行ったので、元々の位置は不明である。学校で昼までそろばんを習い、帰り道に塀を通りあか地蔵のあげものをもらっていた。小学校3 年生のとき。(現在75 歳)水害によって、歴史のあるものはあまり残っていない。お寺(千光寺)ぐらいである。地蔵も1 つ(あか地蔵)しかない。

自然
 山が低く安全で、山に囲まれている中の唯一の平野である。中心的なイメージで
ある。景色はあまり昔と変わらない。一時は、みかん・梅などもしていたが土地が低い
ので、寒さや霜にやられてから田んぼにかわっていった。食生活も変わってみかんの生
産も少なくなっている。学校が終わると、お寺の山に遊びにいった。他に遊ぶ所もなか
った。園原の前の会津川で遊んだ。