●まなびや木造校舎とともに
木造校舎のなにがいい
ギシギシいうし雨もれするし
なんかふくれ上がってるとこもあるし
ゆかはぬけるし
けどコンクリートでできた校舎より
なにかがいいなにかとはいえないが
なにかがいいそれを見つけて
守っていくのは
ぼくたち、せいとのやくめ
「校舎」という題で、上秋津小学校六年の児童が書いた文章である。
上秋津小学校は、上秋津の中心地平野地区にある小学校である。校舎のうち、一棟が木造二階建て、いまではめずらしくなった木造の小学校だ。
上秋津小学校の開校は、明治時代にさかのぼる。
校史は125年あまりを数える。1947年(昭和22年)、あたらしい学制が施行されると、小学校は上秋津村立上秋津小学校として再スタートをする。田辺市立になるのは、1964年(昭和39年)のことである。
この学校で一番古い校舎は北校舎で、1954年(昭和29年)に建てられた。その2年後の1956年(昭和31年)には講堂が、翌年57年(昭和32年)南校舎が建設された。2003年3月までに5258人がこの学校を巣立った。
木造校舎の魅力を記した、こどもたちの言葉がある。
上秋津小学校の校舎はいいなくもりがあるし思い出がいっぱいつまっているゆかがみしみしなるけど、それは上秋津小学校のみんなは元気なんだというしょうこなんだと思う
古くてもいいところはたくさんある上秋津の人はそれをちゃんとわかっている
校舎の建築に大工として携わった谷中康雄さんは、「校舎の建築資材は、めごみのあるいい木を使いました」と、振り返る。木は一部をのぞいて、「地元西牟婁、日高地方の山から切り出した杉、ヒノキだ」という。
もうひとりのこどもの作品は、次のように書いている。
木造校舎は木のぬくもりがあるし
なんだか落ち着く
それに昔を思わせる
なつかしい学校の木造校舎
歴史と、いろんな人の思いが
つまった木造校舎
この校舎を「ずっとのこしてほしいな」と願う子どもがいる。「新しい校舎もぜったい木造」と訴えている女子児童もいる。文集のこどもたちが話すように、木のぬくもり、あたたかさ、が魅力的なのだ。木造校舎の歴史を伝える物語が、こどもたちを感動させる。
谷中さんは、学校が建ったころのことを、こどもたちに語った。五年の女子児童は「なんかこの校舎のままがいいな」と思う。「古いものだからといって、捨てたり新しいものをほしがったりし
ないでください」という言葉に、こどもたちは共感した。
上秋津小学校は、2006年(平成18年)には移転し、そのとき木造校舎は半世紀に及ぶ使命を終える。「今度学校が建つなら、木をたくさん使った学校がいいです」と書いた女子児童がいた。
近代的な建物やあたらしいものだけがけっしてすべてではない、と考えるこどもたちがいる。
廃校になる木造校舎を再活用し、地域のなかに生かせないか。2003年秋、現校舎活用検討委員会が地域に組織され、廃校後の小学校の再活用に向けたプロジェクトチームが動き出した。住民に、田辺市の関係者や和歌山大学教員らが加わった組織である。そこでは、都市と農村の交流を進める拠点としての再利用や、一地域に限定するのではなく隣接する秋津川、秋津町などの住民が広く利用できる生涯教育施設としての可能性などが検討されている。
委員会はこれまで、廃校になった小学校を、「四万十楽舎」という地域づくりの体験交流・生涯学習施設として甦らせることに成功した、高知県・西土佐村など先進地からリーダーらを招き、検討を重ねている。上秋津らしい活用はどのような方法があるのか、報告書は2004年夏にまとまる予定だ。
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