皇后さまがお誉め紀州のスモモ

C皇后さまがお誉め紀州のスモモ

 「紀州のスモモの花はきれいだそうですね」。村づくりで天皇杯を受賞した秋津野塾の代表が、受賞の翌年2月20日皇居に招かれ、上秋津の農産物についてご説明したとき、美智子皇后はこのようなお言葉をおかけになられたという。

 田辺市周辺を中心につくられる紀南地方のスモモは、品質の良さで名高い。JA紀南管内のスモモの栽培面積は約60ヘクタール、年間約140トン近くを栽培している。上秋津は、三栖などに次ぐスモモ栽培が盛んな産地で、86戸が8ヘクタール余りで作っている。 久保田地区に住む農業小谷育生さん(1952年生)は、妻の京子さん(1955年生)と2人、約1.8ヘクタールの畑で温州ミカン、晩柑類、ウメとともにスモモを作っている。そのうちスモモの栽培面積は約8アールで、品種は大粒な実で消費者に人気があるソルダムと大石早生の二種類、上秋津を代表するスモモ栽培農家のうちの一軒である。

 ソルダムは棚を使った栽培が特色だ。1メートル70センチから2メートルほどの高さの棚に沿って木を這わせる。交配方法の改良と、棚を利用した栽培方法が確立されたことがスモモの栽培を普及させた。
 小谷さんが家業の農業を継いだのは1977年、25歳のときである。水田でコメを、畑ではミカンを作る、この地域の典型的な農家だった。スモモづくりに向かわせる転機は、すぐにやって来た。昭和40〇年代における水田の減反・転作、ミカンの価格が暴落し、ウメも二度にわたる大豊作で価格が低迷し豊作貧乏に泣いた。そのとき、奨励品種にあげられたのがスモモの大石早生だったのである。
 「スモモは収益がよかった。平地は、棚栽培に適していた」、小谷さんも大石早生を作る。 2度目の転機は、1990年代初めにやって来た。栽培品種の転換である。主力を大石早生からソルダムに換えた。ソルダムは価格が安定しており、東京ではお盆のお供え用としても人気があった。
 「旬で売る」大石早生は熟した甘みが消費者に喜ばれたが、ウメの収穫時期と重なるのが農家の悩みの種だった。小谷さんはソルダムに切り換え、大石早生は交配用の木にした。 ソルダムは直径が5、6センチ、重さが一個80グラム以上になる。上秋津では、7月上旬に収穫時期を迎える。
 赤く色づいた実は「アメ色になり甘みがつく」。やわらかな表皮は「白い粉をふいて、化粧をしたような状態」になる。小谷さんは、それを「はくがつく」と表現する。「はくは、新鮮さの目安」だ。小谷さん夫婦は、手伝いのひとたちの手を借りて、ひとつひとつ丁寧に収穫していく。「親指と人差し指ですばやくとる」のが、ポイントである。 ソルダムは、「完熟に近い方が美味しい。一番美味しいのは九割程度まで熟したものだ」という。しかし、「完熟に近い」ということは、腐りやすいということでもある。「熟すのが早い夏の果実は、出荷時期が難しい」。実と実があたるだけで表皮に傷ができる。極めてデリケートな果物、それがソルダムなのだ。小谷さんは「七分くらいの仕上がり」で農協に出荷している。それから四、五日経ったころに、食べごろを迎える。

ほかの産地に先駆けて出荷される上秋津など紀州産のスモ
モは、高品質で人気が高い。小谷さんは「美味しいスモモを作っていきたい。そして、できるだけ完熟に近い状態で味わってほしいのです」と話す。 スモモの花の季節は3月中旬から4月上旬である。雨の日が続く菜種梅雨のころ、雨に煙るソルダムの白い花は幻想的だ。「ひとつの房に30近い小さな花が集まって、きれいな花を咲かせる」。
綿帽子にも、牡丹にもたとえられる花は、ほのかな香りをたたえて美しい。