秋津野未来への挑戦−気がつけば、地域づくりの「先進地」と呼ばれて

気がつけば、地域づくりの「先進地」と呼ばれて 

 上秋津の花の季節は、1月の終わりから2月にかけて、冷たい風が吹くなかに凛と咲くウメから始まる。四月、高尾山をはじめこの里を囲むぐるりの山々や川の堤に桜が咲き、あとを追うように、ミカンの白い花が咲く。「花の里」の春を楽しむ花まつ り。ミカンやウメづくりに 汗を流す 農家のひとたち、農業体験をするこどもたちのすがたがある。地域づくりをとおして、大切にされてきた上秋津のひとと自然、ひとと農業、ひとと文化の風景である。

 この地域の地域づくりは、1990年代前半から秋津野塾を “センター”に進められてきた。「活発な地域づくり活動を展開する」にはどうしたらよいのか。話し合い、考え抜いたすえにたどりついた答が、「地区全住民の幅広い合意」のもとで、地域づくりを進めることであった。そのためには、多くの組織・団体が集まった「むらづくり組織」をつくる必要性があったのである。上秋津では、農業を中心に1970年前半(昭和40年代後半)から「むらづくり」に取り組んできた。農業後継者の育成や生産・生活基盤の整備など、課題はいくつもあった。農村社会は、一般的に古い時代の旧弊を、その体質のなかに澱(おり)のように持っており、ことあるごとに「旧村意識」「字単位」が頭をも たげる。それらを 乗り越えて、住民 が一体と なって、地域をつ くっていこ うとする ところに、秋津野塾の始まりがあり、苦闘もあ った。「何かやってる よ。一農村のいなかで、だいそれたこ とを計画 している」、谷中康雄さんは人伝てに、そうした声を聞いた。新しい動きに対する保守的な反応である。上秋津はもともとは、保守的な風土・土地柄である。

 園原地区の農業原和男さん(1940年生)は、秋津野塾の創立にかかわり地域づくりで中心的な役割を果たしてきた一人だ。原さんの夢は、作家宮沢賢治が唱えた「イーハトーブの村」である。
 少年時代に、賢治を読んで感動し農業を志した原さんは、「いつも歌声が聞こえ、 花が咲き、豊かな文化に育ま れて人間が生き生きと暮らす農村の実現」について考え続けてきた。「活動と うるおいのある郷土づくり」の推進が、秋津野塾の設立趣旨に明記された。「都会にはない香り高い農村文化社会の実現」は、目標となった。原さんの思いが汲み取られている。
 
 気がつくと、地域づくりの先進地に数えられていた。全国各地から視察が絶えない。大学関係者、研究者が頻繁に訪れるようになった。そのなかで原さんは時々立ちどまる。「農業 は環境を 保全しないと、もうやっていけない状況です。このまま、農薬や除草剤、化学肥料を使っていくことは危険。農薬をできるだけ使わずに、循環型堆肥を使うなど循環型農業を進めていく必要があるのです」。
 原さんは45年におよぶ農業生活で、もう20年以上化学肥料を使わず、2001一年(平成13年)に和歌山県がエコファーマー認証制度を設けると、ただちに取得した。「環境保全」「循環型社会」は、「イーハトーブ」をつらぬく思想である。
 農業をどうする。暮らしはどうなる、活力のある地域とは。秋津野塾はどうあるべきか、変わり続ける地域社会にどのように対応するのか―。より豊かな地域社会の実現への道は、自信と模索が交錯しているようにみえる。