三体の月

 熊野古道の伝説に、三体の月という話がある。
 昔、熊野参りの帰りに、近露に姿を見せた修験道者が里人達に、「わしは、十一月二十三日の月の出た夜、高雄山(近露の山)の頂で、神変不可思議の法力を得た。村の衆も毎年その日時に、高雄山に登って月の出を拝むがよい。月は三体現われる。」と言って、村を過ぎ去った。
 村人達は、その月を待って高雄山へ登り、月の出を待った。やがて月が顔をのぞかせ、アッと言う間に、その左右から、二つの月が出た。
 三つの月(三体の月)が出たのである。

上秋津地方でも、陰暦一月二十三日、九月二十三日は「三夜さん」と呼ばれた。
 昔は、農家も使用人(男衆、女衆)を雇っていた。そして、昼間は田畑の仕事、夜は毎晩、夜なべ(夜する仕事)をした。
 しかし、「三夜さん」の夜は、
 「今夜は、三夜さんで、米つけ! いやいや、麦つけ! いやいや、おこわ食え! はいはい」

と唄われ、この夜は、使用人は夜なべをすることなく、いも飯、米の飯、こんにゃく飯を作り、家族、使用人ともども食事をし、使用人は、一年のうち数少ない夜なべの休みを喜んだ。
 三夜さんの夜、上秋津地区の田中繁一さん宅の近くの橋(岩内橋か?)と、奥畑の「むねの丘」(岡本辨作さんの上の畑付近)から、三体の月が見えたという話あり、それを聞いたみんなが集まって、 「一点の雲もない、ええ晩があったんじゃわ。東の空が、ゆたーと明るくなってくるんじゃわ。さあ!!出て来るぞ!よう見いよう!」と、待ったという。山の上に美しい月が昇って来た。
 ところが、待てど暮らせど月は一つしかなく、「三体の月」は全然見えなかったそうな。
 しかし、岩内―奥畑―近露の線は、ほぼ一直線で結ばれる。やはり昔の人が見たと言う時に天体現象として何かが見えたのであろう。
 ちなみに、ハレー彗星が七十六年周期において、西暦一九八六年に大接近し、その大きさはお月さん位に見えると言われる。

(注)「史跡と伝説」そのニは、主として中山雲表氏の表記されたものと、町内の方々から聞いたものを編集部でまとめました。



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1984年発行の、『ふるさと上秋津 ー古老は語る−』を、2009年秋津野マルチメディア班がWeb版に復刻いたしました。

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